美しいと感じてしまった。
見なきゃ見なきゃと思いながらなかなか実行に移せなかったこの映画。
主人公のアーサー・フレックは突発的に笑い出してしまい自分では止められなくなる神経性障害の一つである情動調節障害を抱えながら、総合失調症の母親を介護し続けている。
彼は派遣ピエロを生業としていたけれども、それもクビとなってしまい、症状を抑えるための薬を処方してもらうために通っていたカウンセリングも予算の都合で閉鎖となってしまう。
情動性障害のせいで彼の社会生活はひどく困難なものになっている。
一般認知度が低いことから病気と説明しても本気で受け止めてくれない。
そのせいで気持ちわるがられたりからかわれたり、時にひどい暴力を振るわれたり。
幸せなひとときはテレビを見ている時だけ。
酔っ払って地下鉄の中でたまたま乗り合わせていた女性に侮蔑的な言葉を投げかけ、アーサーを3人係で殴った3人の若者。
トマス・ウェインの会社に勤めていたというだけで前途有望な罪のない若者の命が失われたと世間から嘆かれる。
自分の事情は誰も聞いてくれない。
問題にもされない。
まるで存在しないかのように。
理不尽と卑劣の連打にどんどんと息苦しくなってくる。
相手を好きなだけ侮蔑していい理由など誰にもない。
金持ちだろうが学歴や地位が高かろうが同じことだ。
お金があるからといってお金がない相手を見下していいことにならない。
学歴があるからといって学歴がないもの見下していいことにならない。
先に生まれたからと言って後から生まれたものを見下していいことにならない。
若いからといって年老いたものを見下していいことにならない。
品性というのはそういうことじゃないんだろうか。
散々見下し残酷な扱いをしておいて相手が牙を向いたからって驚く方がどうかしている
「助けて」と泣けばどの口がそれをいうかと余計に怒りを掻き立てられる。
精神的にも身体的にもありとあらゆるものから加虐を加えられたアーサーがついに彼自身を規制していたありとあらゆるもの、彼なりの良心だったり倫理感だったり、人としてこうあるものという彼自身が自分に課していたものから解き放たれたとき、あまりにも清々しく、美しくて。
よかったと思っている自分に気がついて、「うーん、ジョーカーを肯定してるけども?」とちょっと困るんだけれど、でもだからと言ってこの変身を悲しむ気持ちはないというか、もうその時点はとっくに過ぎ去ってしまっていて。
社会から存在を徹底否定されたとき、それがもし自分であったならどうするだろう。
苦しさに耐えかねて自ら命を断つだろうか?
それとも?
とっても強烈だった。
私の好み度: ⭐️⭐️⭐️⭐️/5
🍅: 68%