So Be It

見た映画やドラマでFilmarksにない作品の感想と覚書。時にネタバレを含んでいますのでご注意ください。

ハーレム・ナイト(Harlem Nights)

監督の重要さを思い知る。

 

 

 1918年のハーレム、孤児のクイックはクラブの経営者シュガー・レイに引き取られ、息子同然に育てられる。クイックが大人になった頃、ハーレムに進出してきたギャングのバグジーがシュガー・レイのクラブを潰そうと、懇意の刑事フィルをけしかけ取り締まられたくなければ売上金の3分の2を支払うよう脅しをかけてくる。

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 いや....もうひどい出来でした😅

 映像で物語を伝えるって簡単じゃないんだなぁということが本当によくわかりましたとも! 

 とはいえ、この映画の貴重感も生半可なものではないので、ただただ惜しいというか、パーツパーツを見れば面白かったりもするので、まぁこれはこれでいいのかというか。

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  エディ・マーフィとしてはこの映画に出ている誰のことも粗末に扱いたくなかったんだろうなぁと思うし、みんなに気持ちよく仕事をしてもらいたかったんだろうし、そのキャリアに相応しい敬意を持って撮影現場では扱われて欲しいと思っていただろうから、そうなると、うっかり白人監督の手に任せることもできないだろうし。というか、パラマウントの白人の映画関係者に対してそういう心配をしなくてはならないような扱いをこれまでエディ・マーフィが受けてきたってことなんだろうなぁとそんなことも思いつつ。

 

 ただこの映画、なかなかいいお話だし、キャストもめちゃくちゃいいのでもうちょっとなんとかならなかったのかなぁという勿体無い感がどうしても。

 編集がまずいとかいう以前にまず必要なショットをちゃんと撮りきれていなかったって感じなのかな。映像と映像を繋ぐのって本当にテクニックがいるんだなぁということがわかるいい見本だったなぁと。肝心のところを見せていないというショット足らずみたいなところが多発しているけれども、いらないショットというか意味不明のショットもいっぱいあって。

 というか私がわかるレベルでバグっているっていうところで「あーやらかしたー」と身内でもないのにオロオロさせられるっていう。

 でもまぁ、エディ・マーフィ、めちゃくちゃ頑張っていたことは確かなことなんですよ。この映画の撮影中、

 この映画の撮影中、ロマ・プリータ地震というマグニチュード7.1の地震が起こって、LAも揺れたらしいのだけれども、エディ・マーフィがビクりとも動かなかったので、死んだんじゃないかと周囲がビビったぐらい眠り続けていたらしく。もう脳味噌フル回転もフル回転で頑張っていたんだろうなぁと。

 

 美術監督を「ブレードランナー」のセットを担当したローレンス・G・ポールが務めているのだけれども、インタビューで、「”ブレイドランナー”は準備に9ヶ月かけられたけれど、”ハーレムナイト”は7週間しかなかったんだ」と話している。プロダクション中、大忙しのエディ・マーフィではあったけれども、ローレンス・G・ポールとは毎日かならず顔を合わせて話合っていたらしい。スケジュールがタイトということもあって、ローレンス・G・ポールに裁量権を渡しており、ローレンス・G・ポールもその信頼を裏切らないよう時間が許す限りこだわり抜いたセットを作ったと。

 1番の挑戦はハーレムが華やかだった頃を再現することで、エディ・マーフィのお母さんから、エディ・マーフィのお母さんから、ハーレムがかつてとても美しく、いかに魅力的なコミュニティだったかということを表現してもらうことは自分たちにとってとても重要なこという話もされたそうだ。「第二次世界大戦が終わるまではまだハーレムは衰退していなかったんだ」とローレンス・g・ポール。

 映画の中でハーレムは本当にキラキラ輝いていましたとも。

 映画の仕上がりには色々問題ありだったにも関わらず当時の賑やかぶりは十分伝わってきました。「スーパーフライ」もハーレムが舞台だったんですが比べてみてもその変貌ぶりは凄まじいなぁと。

lebeauleblog.com

 

 あと、リチャード・プライオアの役のモデルがバンピーだったというので、このあとデンゼル先生の「アメリカン・ギャングスター」に繋がっていくのかぁと何やら感慨深かったです。

  ちなみにエディ・マーフィはレイおじさんから昔ブルックリンでシュガー・レイというバーを経営していたことやマフィアから逃げた話を聞き、その3週間後には「ハーレムナイト」を書き上げていたとか。

 

  伝説のコメディアンであるリチャード・プライアーやレッド・フォックスと一緒に仕事がしたかったことが、エディ・マーフィが監督もすることになった1番の理由だったようです。

 

 余談ですがアーセニオ・ホールの「泣き男」コントとしてはめちゃくちゃ面白いんですよ。

(このインタビューの3:12頃に挿入されています)

「泣き男」コント(?)中、小さな銃を撃ち続ける男が黒人スラントマンのための労働組合を作った人という。 (話しているのはその息子さん)

 

 この映画の中で老眼のディーラーでめちゃくちゃ面白かったのが、スタンダップコメディアンのレッド・フォックス。

 リハーサルの合間、 デラ・リースとレッド・フォックスの掛け合いをみていたエディ・マーフィがお昼休みにしようと言ってトレイラーに戻って書き上げたのが「The Royal Family」というシットコムだそうです。

 

パイロット版がYoutubeに

 

この「The Royal Family」の撮影中にレッド・フォックスは亡くなられてしまいました。

その時の様子をデラ・リースが話してくれています。

 

 リハーサル中に、レッド・フォックスは「エンターテイメント・トゥナイト」の取材を受けていました。レッド・フォックスはリハーサルのシーンでの台詞はなく、そのシーンではただ部屋を横切るだけ。にもかかわらず、プロデューサーの一人がリハーサルを抜けたことでレッド・フォックスを責めたそうです。それまでにも番組プロフューサーは蔑むような言動をレッド・フォックスや黒人キャストにとっていて、当時はそれも珍しくなかったそうです。そしてその直後、レッド・フォックスは突然倒れました。デラ・リースが咄嗟に彼の元にいくと「妻を読んでほしい」とうわ言のように繰り返していたそうです。デラ・リースは奥さんに電話をして、病院に。しかし、そのまま帰らぬ人に。奥さんが医者からその結果を聞かされているすぐ側でプロデューサーがシナリオをどうしようかという話をしていて、そのやりとりが聞こえたデラ・リースは番組には二度と戻るまいと決めたそうです。

 

インタビューでレッド・フォックスは「ハーレム・ナイト」の撮影中、エディ・マーフィがそれぞれに対して個人的に話にいって、意図や方向性について話に行っていて、誰にも気まずい思いをさせるようなことをしなかったと話しています。

www.sun-sentinel.com

そして当時レッド・フォックスのお葬式の費用を出したのがエディ・マーフィだったそうです。

www.vanityfair.com

(レッド・フォックス以外にもエディ・マーフィはショービズ界で活躍したアフロ・アメリカンでのお葬式費用を払ったようです。活躍に見合うだけの収入を彼らが得ていなかことが理由の一つとしてあるようなんです)

 

 あとちょっと話は変わりますがレジェンド繋がりで、ナントなんと48時間の撮影中にドールマイトことレディ・ルイ・ムーア、ご本人がセットに訪ねてきていたそうですよ。

www.indiewire.com

 LAのダウンタウンで撮影していたら、誰かが「俺から手を離せ」って言ってる声が聞こえて、なんか今の言い方ってレディ・ルイ・ムーアっぽいなぁってエディ・マーフィが声がした方を見たら、本当に当人がいたっていう。

 

 

 ずっとテレビに進出したがっていたのは、これもショウビズを志すアフロ・アメリカンにもっともっと門扉を大きく開くためだったんだなぁと。レッド・フォックス氏の「Sanford and Son」みたいなことをやりたかったのかなぁとか。

 

 

そういったことを知ってから「Dolemite is my name」でレッド・フォックスの名前を出していたこのシーンを見ると何か感慨深すぎるものがあります。

 

こちらは映画とは全然関係ないんですがサミー・デイヴィス Jrの芸能生活60周年記念パーティのホストをエディ・マーフィがつとめていて、その動画を見つけたので。

 

 

 

私の好み度: ⭐️⭐️⭐️⭐️/5

 🍅: 21%

www.imdb.com