これぞマジカル!
ゴルフ好きの気持ちはゴルフを知らないものにはなかなか推し量ることはできない。
きっと何か人々の気持ちを惹きつけてやまないものがあるのだろう。
で、まぁ....、申し訳ないことながらゴルフに関してなんの思い入れもないんですよ。
でも、ゴルフに入れ上げている俳優さんのゴルフに関する熱い語りはインタビューで何度か読んだことあるので多少推し量ることはできなくもないこともない...と思います。たぶん。
で、とりあえず、 あらすじ。
第一次世界大戦後、父親が夢のゴルフコースを作ったにもかかわらず大恐慌に見舞われ、銀行に差し押さえられそうになる。資産を受けついだ娘のアデールは借金を返すために有名なゴルフの選手を招待してゴルフ大会を行うことにする。そのメンバーの1人にかつての恋人で地元出身の元ゴルファー、ジュナも含まれていた。しかしジュナは第一次世界大戦から帰還した後、別人のようになってゴルフからも完全に身を引いていた。
ゴルフ好きはゴルフをよく人生に例えたりするので、この映画もそういう感じのことなのかなという気もしないではないんですけれども、でもうーん...。
ゴルフ好きはゴルフ場で命を終えたいと夢見るものなんでしょうか??(ゴルフ好きっていったい....)
日が暮れて、それでも最後までプレイを続けるということになって車のヘッドライトでコースを照らして、人々がシルエットになるシーンがあって、それはとっても美しい感じがした。
何というかゴルフ場の美しさみたいなのがよく表れていたとおもうので、ロバート・レッドフォード、きっとゴルフがすっごく好きなんだろうなぁと。
ゴルフ愛で作られた映画なんだな、これはきっと。
で、調べてみた。
ロバート・レッドフォードは11歳の時からゴルフを始めたそうだ。もともと左利きだったのが、当時は右利きが正しいということで、右利きでゴルフができるようにならったとか。
20代前半の時はハンディキャップ6の腕前。結婚してNYで暮らすようになり生計を立てるためにゴルフをやめたそうだ。
なんとなくゴルフへの思い入れは強そうですよね。
余談ですが、マット・デイモンはとんでもなくゴルフがへたっぴだったらしく、見る人が見るとわかるので、なるべくジョナのショットはうつさないようにしたとか。
そして謎のキャディ、バガー・ヴァンス。
小説でも神秘的な存在として描かれているということで、映画でもミステリアスに見せるようにしたと。
その結果、マジカル・ニグロの見本みたいなキャラになってしまったというこの哀しみ💧
よもやこんな物議を醸すことになろうとはロバート・レッドフォード夢にも思っていなかったんだろうなぁ。
でもそれってウィル・スミスも同じだったんじゃなかろうか。
むしろ興味深いのは当のウィル・スミスの意図の方かもしれない。
彼はこの時、自分の考えを完全に押し殺し、相手の意見を受け入れて演技をしたそうだ。それでも自分がこの役をきちんと演じきれているのか確信が持てなかったーと言うようなことは話しているけれども。俳優として迷子になっていた時期なんだろうか。
この映画が公開されているのが2000年。翌年に「Ali」が公開されている。
ウィル・スミスが「Ali」を演じることになったとき、「マルコムX」をどうやって演じたのかということを尋ねてきたとデンゼル先生がスパイク・リーとの対談で話している。「Ali」を演じるというのは相当なプレッシャーであることは疑いないので、ということはロバート・レッドフォードから俳優としてのノウハウを教わりたいという気持ちもあって、今回は自分のやり方や考え方を封印したということなのかな。多分、それっぽいよな。
ロバート・レッドフォードはこの映画のプロモーション活動を積極的に行いたかったようなのだけれども一箇所での取材にとどめている。一瞬 「マジカルやりやがってー💢」と抗議運動や暴動が起こることを心配しての配慮だったのかと思いかけたけれども、調べてみれば、トニー・スコット監督の「スパイゲーム」の撮影に突入してスケジュール的にこの映画のプロモーションができなくなってしまったということだった。(本当はゴルフクラブでの特別上映会とかやりたかったのかも...😅)
この映画ではキャディだけではなく観客の中にも黒人の人たちがいたりするわけですが、南部のゴルフ場で当時黒人の人が入ることができたのかという疑問がですねぇ.....。
でもまぁ、この映画どのみち主人公が心臓発作を起こしてご臨終する間、もしくは後の話なので、だからみんな和気藹々してたっていう説明で押し通せないこともない感じ。
で、実際はどうだったかという話になりますと、80年代に、エディ・マーフィが自分が入れないゴルフ場のレストランがあったと言う話をしていたぐらいですからねぇ。
ちょっと検索かけて調べてみますと、アメリカで初めてプロのゴルファーとしてツアーを回ったアフロ・アメリカンはCharles Luther Sifford。
彼がゴルフを始めた頃はまだスポーツは黒人と白人は分けられていた状態。
1960年に外国人ゴルファー枠でPGAツアーを回ることを許可されたとか。
しかし、やはり入れないレストランはあったらしい。
キャディの方はどうだろうと調べてみたら、なんとWillie Lee (Pappy) Stokesというマスターズで優勝を5回経験している伝説的アフロ・アメリカンのキャディが存在しました!
1946、1948、1951、1953、1956の五回、マスターズの優勝選手のキャディをつとめたそうです。
1990年にタイガー・ウッズが、アメリカ国内にはまだ自分が黒人だからという理由でプレイできないコースがあると言う発言をしているという記事があったりして、この映画がその10年後だから...、この映画が物議を醸し出すことになる???
なんかもうややこしいなぁ.... 偏頭痛がしてきたので宙ぶらりんですが、このあたりで。
悩みながら検索していたらこんなもの見つけました😅
面白すぎるんですが😅😅
「私達は白人を助けるために存在しているわけじゃない」と唱和しながら全員が唐突に消えるところがもう....😅
バガー・ヴァンスは中でも重症マジカルみたいですよ😅
しかし、ふと思ったんですが「便利に使われたキャラ」とか「いつの間にか消えていた」って俳優追いで映画とかドラマ見ていると人種関係なく結構あるしなぁとか思いつつ...(こう思うのって黒人が警官に殺されていることをどう思いますかとトランプ大統領に尋ねたら「白人も殺されてるんだよー」とホラーな回答したのと同じことになっちゃうんでしょうか????)
しかし、とすれば1990年代に日本人もアメリカで入れないコースがあったり、ゴルフはできてもレストランには入れないってなことがあったってことなんですかね???
追記: 上のコントはNetflixで配信中のシットコム「Astronomy Club」のエピソード1で見ることができます。残念ながらシーズン1でキャンセルされちゃったようなのですが。
このシットコムはなかな勉強になりました。当たり前のことではあるのだけれども、黒人の人たちの中でも年齢や立場によって考え方捉え方は色々あるわけで、きちんと文脈を読んで自分で判断できるようにならないといけないんだなぁと改めて。黒人であるのに「黒人っぽさ」という概念に振り回されるというのが当の黒人の人たちにも悩みどころということで、にわか知識しかない私が混乱するのも当然だと納得。”これこれに当てはまるからダメ”という紋切り型の判断のしかたではだめなんだなと。
ウィル・スミスがなぜ「バガー・ヴァンスの伝説」に出たのか話をしているインタビューがありました。
"ウィル・スミス”のイメージが定着しすぎて、自分が語りたいストーリーを物語るのに不都合と感じたため、方向転換にちょうどいい機会と感じたそうです。この映画自体は別に人種についての話じゃない。今回黒人の人たちが機嫌が悪くなったけれども、次にやる「アリ」では今度は白人の人たちがあまりいい顔しないかもねと。
" I was shooting a movie where all the characters are white except one black guy, a caddie who might be God."
ウィル・スミスはこのキャラクタがー「マジカル・ニグロ」とバッシングされるであろうことは最初からわかっていてこの役を引き受けたんだなぁと改めて納得。
愛読ブログの筆頭である「シネマ一刀両断」のふかづめさんが映画レビューの中で「相手を理解しようとすることほど傲慢な身振りはない」と「ナイチンゲール」という映画のレビューの中で書かれていたのだけれども、このことを本当に肝に銘じておかないといけないなと改めて思った。
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