なんだか色々とたまらなくなる。
1936年のベルリンオリンピックに参加し、100m走、幅跳び、200m走、100mリレーで金メダルを獲得したアフロ・アメリカンのジェシー・オーエンスがオハイオ大学に入学し、ベルリンオリンピックで金メダルを獲得するまでを描いた映画。
マー・レイニーがシカゴで「ブラックボトム」をレコーディングをしようとしていたのが1927年(「Ma Rainey's Black Bottom」)。
その時、ジェシー・オウェンは14歳。
ベルリンオリンピックで四冠を達成したのが23歳の時。
サーグッド・マーシャルがNAACP(全米黒人地位向上協会)に所属する唯一の黒人弁護士として、休む間もなく全米を飛び回っていたのが1940年代 (「Marshall」)。
そのNAACP(全米黒人地位向上協会)はベルリンオリンピックへの出場の可能性が濃厚であるジェシーに、ユダヤ人を排斥するナチが開催するオリンピックには出ないで欲しいと要請しにくる。
ジェシーはオリンピックに出て勝つことが同胞に報いることになるのか、それとも出場しないことが同胞に報いることになるのか激しく悩むことになる。
コーチはジェシーに「自分がどうしたいかを1番に考えろ」と説得しようとするけれど、「それができるのはあんたが白人だからだ」とジェシーは激昂する。
東京オリンピックを開催するか開催しないかで揉めている昨今だからこそ余計にジェシーの追い込まれた気持ちがわかるというか、多分、そうでない時に見るよりもその選択の難しさを推し量ることができたのではないかなと思う。
映画を見ながらでさえ、どっちが正しいことなのか計りかねた。
幸い映画を見ているだけなので決断を下す必要はなかったけれども。
自由と平等を謳いながら白人と黒人の居住区もバスの座席も何もかも区別していたアメリカ。現在でもアメリカやヨーロッパでナチの考え方に賛同する人が意外にも多いと言うことをこの映画の監督のスティーヴン・ホプキンスがインタビューで話していた。
映画のラストで祝賀会が開かれるホテルにコーチとジェシーが共に向かうとき、ジェシーは裏口に回るようにドアマンから言われる。
祝賀会の主役であるにも関わらずだ。
コーチは激昂するがジェシーに宥められる。
人種差別が当たり前に存在する世界で差別を受ける側が地獄であることは当然のことながら、それが間違いだとわかっていてそのことに対して心から憤りも覚えている白人の人たちにとっても地獄だと思った。
自分の大切な誰かが理不尽な仕打ちを受けているのを目の当たりにし続ける辛さ。
最近、マハーシャラ・アリ主演の「True Detective」のシーズン3を見終わったのだけれども、これを見ていてもやっぱり似たようなことを感じた。
ジェシーが金メダルを4つとって戻ってきてもホワイトハウスからはなんのコメントもなかったらしい。ジェシーが亡くなったさらに10年後、ようやく議会から功績を認められ生涯ヒーローとして金メダルが贈られたそうだ。
なんというかこういうのが1番腹が立つ。
認めないよりはいいのだけれども、「フランダースの犬」でネロが死んでからネロがお財布を盗んだわけではなかったとわかって大人たちが後悔して涙を流すーみたいなラスト、子供の時に本を読んでもうめちゃくちゃ腹が立った。
「今更何言っても遅いんじゃ!!!😡💢」みたいな。
相変わらずそういう傾向にあるみたいで、最後にそのことが字幕で表示されたとき、もう腹が立って、悔しくてしょうがなくてそこで1番ボロボロ泣いてしまった。
私の好み度:⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️/5
🍅: 62%