So Be It

見た映画の感想。時にネタバレを含んでいますのでご注意ください。

ルース・エドガー (Luce)

リトマス試験紙のような映画。

 誰に感情移入しやすいか反発を感じるかというところで自分の物事の見方の傾向が見えてくる。

 

 

 ルース・エドガーという文句のつけようのない優等生が提出した宿題のレポートをきっかけに担当教師のハリエット・ウィルソンはルース・エドガーが危険思考のに傾倒しているのではないかと懸念を示し、彼の両親に注意を促す。

 

 リトマス紙ということで、ここはまず正直に私が誰に感情移入してどう感じたかということを先に書いておこう。

 

 ルースに感情移入したので疑ってかかる周囲にめちゃくちゃ腹が立った。 笑顔の裏に押し隠した激しい怒りが辛かったし、事件に関してはパン・アフリカンのレポートを提出したところから既にウィルソンをハメる算段をしていたと睨んでいる。

  そういった罠で1人の女性から職を奪う残酷さは10代だなぁとも思えるし、”ブラックではないブラック”に対する憎悪が彼を報復に駆り立てたとも思えるし。

 

 彼の二面性についてはアメリカで生きる黒人であれば誰しもが持ち合わせているもので、殺されないで生き残るための一つの知恵でもある。

  何もアメリカの黒人の人たちに限らずとも、社会人となれば誰しも仮面を使い分けている。その仮面を使い分けられなければ、社会から弾き出されるか危険視される。

  社会の決まり事に自分を馴染ませることが悪いわけではない。

 大勢で生きていく上で衝突を避けるためにもこうありましょうというお約束に沿うことも生き延びるための大切なテクニックだ。

 

 白人と黒人。

 肌の色の違いを除けば同じ人間だ。

 それでもやはり人種による気質の違いというのは明らかに存在するのではないかと感じる時がある。

 気質や考え方の大部分は育った環境によって左右されることがほとんどなのだろうとは思うが、生まれ持った資質というのもやはりあるのではないかと。

  例えばゴールデン・レトリバーやピット・ブル、チワワに柴犬、秋田犬と、同じ犬ではあるけれども、そして育った環境に大きく左右されるところもあるだろうけれども、その犬種になんとなく共通するような資質というか傾向というものがあるように。

 もちろん例外だってあるし、あくまでも「推測」の話だ。

 でも同じワンコの飼い主さんの中でも同じ犬種の飼い主さん同士の方がさらに「あるある」話で盛り上がれるというのは、やはり備わった共通の傾向というのがあるのかもしれないし、ないのかもしれないし...。

  結局のところ自分が何を知らないのか、それがわかるまではわからない。

 ”You don't know what you don't know until you know."という不確定要素というか余白があるにも関わらず、あたかもそれが存在しないかのように物事を判断したり決めつけたりすることは当然”余白”部分で齟齬を起こすことになる。

 それがどのような齟齬になるかはこれまた環境によることも多いだろうし、その結果起こる結果もまた然りだ。

 

 んー、ちょっと話がそれた気がするな。

 

 ええっと、この映画でも描かれていたけれども、ルース・エドガーの白人の友人が同じ部員でマリファナ所有で退部になった黒人のデショーンについて、「あいつはいかにも黒人だから」というようなことをいうシーンがある。対してルースは「黒人っぽくないから」と言われたり。

 

 "he's like, black-black."

 

 ”黒人っぽい”、”黒人っぽくない”というのはどういう状態を指すんだろう。

そういう話は「The Last Black Man in San Francisco」でも出てきていた。

「日本人っぽくないね」と言われることと同じような感じかなとも思ったけれども、”日本”は国だから、それだと「アメリカ人っぽくないね」って言われることと同じようなことであって「黒人っぽい、黒人っぽくない」には該当しない。

 とすれば該当するのは「黄色人種っぽくないね」って言われるってことになるのかな。

でも、黄色人種っぽいぽくないって....そんな概念考えたこともないから言われたとしても自分がどう感じるかなんて全然思いつかない。うーん...。

 

 行き詰まったところでちょっとルースの完璧なまでの優等生ぶりについて考えてみよう。

 これまでドラマや映画で学んできたことから考えると、アメリカで育つ黒人の子供たちはどこかの時点で、目をつけられないよう目立たないように、根拠もなく疑われたりしないためにも慎重に振る舞わないといけないということを学ぶこととなる。認められるようになるには白人の子供たちよりも努力しなくてはならないと教わる。

 ルースは完璧なまでの優等生だったけれどもちょっとしたことで疑われた。

 それはディショーンに対するウィルソンの振る舞いから、こうすればウィルソンは自分に対して不信感を持つであろうということを計算してのことだったけれども、ウィルソンもまた白人両親の言い分の前にこれまでに自分が築き上げてきたと信じていた社会的信頼みたいなものはあっという間に打ち砕かれる。

 

 人は人を何をもって判断するのか。

 その根拠はどこにあるのか。

 この映画は自分が何を根拠として判断していたのか、それを炙り出し、それがいかに当てにならない根拠であったかを次々と思い知らせるように登場人物全員にグレーゾーンを持たせているというか。

 

 ちょっと落とし所迷子になっていますが。  

 

 

 そういえば、その昔、LL cool Jがカントリー歌手のブラッド・ペイズリーとコラボした「Accidental Racist」という歌がアメリカでえらく物議を醸し出して、twitterで「黒人じゃないって言われた」と怒っていたことがあって、その時はよく意味がわからないと思っていたけれど、こういうことについて言ってたのかなぁと思ったり。

 

 

 それからルースは今の両親に引き取られたとき、発音できないからという理由で元々の名前から英語名の名前に変えられるのだけれども、このシーンを見て、ふとエディ・マーフィとトレバー・ノアのやりとりを思い出してしまったんですよね。

 

 「星の王子2」でトレバー・ノアは自分で自分のキャラクターの名前をつけているんですが、さすがやっぱりホンモノだって思ったってエディ・マーフィが言っていて自分たちが考え出したアフリカっぽい名前なんてやっぱりニセモノみたいな感じのことを。トレバー・ノアがその言語がわかる人たちにはその名前が思いきりギャグになっているということを説明したらさらに感心した感じで。

 

そういえば他のインタビューで「マーフィ」っていう名字がいかにも適当にピックアップした名前というようなことを漏らしていたことがあって。

アフロ・アメリカンの人たちが「ファミリー・ヒストリー」のような番組に出て自分のルーツを辿ると、祖父母の代や曾祖父母の代については所有者の名前や番号でしか記録が残ってなかったりして、そこから以降を辿れない。アフリカといってもとても大きな大陸で、たった一つの特色で、いってみればせいぜい「ユーラシア大陸」から来たとかしかわからないみたいなわけなのでそれ以上記録では辿りようがないというか。

名前さえ抹消されることの残酷さというのはなかなか想像しづらいけれども、でも結局そのことでアフリカのどの国とかどの言語地域からきたとか名前から得られる手がかりも奪われたということだから。

 

 

全然余談ですが、もう一つだけ。

BLM関連を勉強するようになってから気になっていたことなのだけれども、学校の校則にあるパーマ禁止で天然パーマの人は親に証明書を書いてもらって提出するようにっていう。私は癖毛なので証明書を提出しなきゃいけない生徒だったんですが。

 で、癖毛の場合、ストレートパーマかけてよし、みたいな。

 この校則の意味がずーっとわかんねーと思っていたんですが、これってもしや人種差別が根底にあるんじゃなかろうかと...。西洋の学校校則を模範にして校則作ったせいでもとより意味なく存在した校則だったんじゃないかとか。ま、全然関係ないかもしれませんが。

  でもトランプ元大統領大好き日本人が思いのほか多いところを思えば、明治時代に西洋文化をごっそり仕入れ始めた頃から無意識の内にwhite supremacyを刷り込まれていても不思議はないのかもとか。

 

 あ、ちなみにルース・エドガーを演じたケルヴィン・ハリソン・Jrはウィルソンに1番シンパシーを感じたそうです。

 

 

私の好み度: ⭐️⭐️⭐️/5

🍅: 90%

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