1997年3月9日に24歳の若さで亡くなったラッパー、ノトーリアス・B.I.G. のドキュメンタリー。
ノトーリアス・B.I.G.ことビギーのことはインスタのTLに流れてくる壁に描かれたアートで頻繁に見かけてはいるものの、彼に関する知識ゼロの状態だった。
彼がラップのリリックのあり方を変えたということを言葉で聞いて知っていても、それがどういうことかちっとも飲み込めていなかったし、そもそも曲を聞いたことがない。
ラジオなどでたまたま流れていて聴くということはあって、「なんか聴いたことあるなぁ」とか思って曲名を確認したらビギーだったということはあるけれども、その程度の認識だった。
去年の5月〜6月頃にようやくBlack Livs Matterムーブメントなるものを認識した時、それが一体どういうことなのか、日本語の説明や記事を読んでもいまいちピンと来なくて。
元々大好きでフォローしていたアメリカの俳優さんたちやアーティストの人たちもインスタでそのことについて積極的にインスタライブなどでわかりやすく説明してくれたり、学びたかったらこの人をフォローという感じで案内してくれて。
とにかく把握したかったので、とりあえずその通りにフォローして、その人たちがまたこの人をフォローとかサポートとかっていう誰かを案内してくれるので、またフォローしていく....というようなことを繰り返していたら、タイムラインがいい具合にアメリカのブラック・コミュニティが垣間見れるようなそういう感じになって。
その中にはセレブの人たちだけではなく一般の人たちも多く含まれていて、なんというかコミュニティの空気感の一端みたいなものを少しだけ感じられたというか、彼らの文法というか文脈が見えてくるというか感じられた感触があって。
彼らがどのように励まし合ってきているか、彼らがどのようなことに腹をたて、どのようなことにウンザリしているか。
コロナ対策でお互いに声を掛け合ってソーシャル・ディスタンスを保ち、積極的にきちんとマスクをして、マスクや食料が不足している地域にはその地域出身のアーティストやアスリートが出かけていってそこのコミュニティの人たちと協力しあって炊き出ししたり。
壁やポストなどにナチスのマークの落書きや人種差別的落書きで荒らされたりすることがあれば、近くのジムやボクシング、マーシャルアーツの道場の人たちが掃除に出かけていき、家に閉じこもりきりで落ち込まないようにDJの人たちがライブストリームで毎日のようにブロックパーティ的イベントを行ったり。
あくまでもインスタを通しての話だし、勝手にわかった気になっているだけなんだとわかってはいるけれども、それでもこのTLを通して感じたことが、映画を見た時に私が「これは白人の人が書いてるな」とか「これは元々白人の人想定で書かれているな」というような違和感を感じるようになった土台になっていると思う。
何が言いたいかというと、そのTLを通して感じたのがノトーリアス・B.I.G.の存在感で、彼が今も変わらずすごく愛されているということだった。
いつかこの人のことも知らないといけないなと思いつつ、伝記映画などウォッチリストに入れつつもここまで着手できないままにきてしまった。
知識としては「Hip-Hop Evolution」で触れられた程度にしかビギーのことは知らなくて、Tupacと揉めた人でTupacが殺されて約半年後に殺された人という認識しかない感じで、このドキュメンタリーを見た。
このドキュメンタリーを見ようと思ったのはインスタのTLで「これまでの中で一番本来のビギーに近い」というレビューを山ほど見たからだ。
そして見て驚いた。
まさかアルバム1枚、それもデビューアルバムを1枚出したきりだったとは。
もちろんシングルやライブやらは行って絶大な人気はデビューアルバム前から勝ち取っていたけれども、それにしてもだ。
まさか彼がずっと「ラップで自分が成功できるかどうかわからない」という不信感を抱いていて、ラップがダメならドラッグディーラーに戻ろうという宙ぶらりんの状態だったということの驚いた。
ようやく自分はラップでやっていける、ラップが自分のやりたいことだと心から思えた矢先のTupacとの揉め事だったとは。
意外に思ったし、なんというかラップを始めても彼がドラッグから縁が切れなかったことがとても残念に感じた。
Hip-Hopのことを調べているとHip-Hopにはいつでも「これが本当のHip-Hop」、「あれは本当のHip-Hopではない」というような議論にぶち当たって、本当のHip-Hopってなんぞや?ってことが疑問になってきて、それで創世記まで遡って調べることになったという感じだ。
幸い去年はHip-Hopの歴史に関するレクチャーもインスタライブで多かったので、ベーシックのアイデアは理解できた。
どうしてHip-Hopがブラック・コミュニティにとって特別で格別なのかということも感覚的にはわかった気がした。
私のHip-Hop学習が創成期〜N.W.A.まで的なところしかまだなぞれていないところがあるので、その期間の学習だとラッパー=”ドラッグ、暴力、ギャングを誘発する存在”の認識がどこからくるのがよくわからなかった。
それまではなんというかそこから抜け出す手段というイメージだったので、2000年前後ぐらいからなんというかOG的Hip-Hopと若手の考え方の対立みたいなものがあるというか、どうにもマイナスイメージの方が強い感じがあってそこの原因がどこにあるのかとかがいまいちわからないなぁという感じだったのだけれども。
もちろん映画では何度となくドラッグやギャングなどいかにゲットーで育つ子供達にとっての脅威になるかというのは見てきているのだけれども、このドキュメンタリーでなんというか「ああこういう状態だったのか」というのが少し見えた気がしたというか。
というか見た順で勝手に自分の中ですごく過去に起こったこと扱いになっていたけれども「Boy's N the Hood」とかはこのあたりの時代のことだったんだなと。
今更ながらに、変な話60年代だろうが90年代だろうが50年代だろうがストリートで起こっていることや黒人の人たちに対する待遇があまりにも変わらなさすぎるために自分の中でタイムラインをうまく関連づけられていない感じで。(←まぁ単に私の頭が悪すぎるだけなんですが)
ビギーがドラッグから完全に縁が切れるように、街から出られるように、本当に大勢が繰り返し手を差し伸べ、良い方向に引っ張ろうとするのだけれども、その努力が実りかけたと思ったら...。
80年代に大成功したラッパーの人たちは街の人たちにとっては、特に若い人たちにとってはもう別の世界の住人のような印象で、ドキュメンタリーでLL cool JやRun-DMC、N.W.Aの成功をビギーも完全に自分には起こり得ない「夢物語」と受け止めている発言をしていた。
これまでLL cool JやChuck Dをはじめとするラッパーのパイオニアとされる人たちが繰り返し繰り返し、自分たちも同じゲットーから出てきたというルーツの話をするのもそういうことなのかと。
故郷のコミュニティで無料コンサートを開いたり夏休みの子供達のためにスポーツ教室を開いたりするのも自分たちは決して彼らにとっての「夢物語」ではないと感じてもらうためなんだなと。
もちろんアーティストとして成功を収めるには才能や運もいる。全員にアーティストを目指せと彼らは言っているわけではない。
周りにどれだけ無理だと言われても「こんなことは無理だ」と諦めてしまわないことが大事なんだと。
これだけ読むと若者に対するよくある激励のように見えるかもしれないけれども、アメリカのブラック・コミュニティの低所得層が置かれている絶望的な環境で育つ子供達に1人でも多く無事に生き延びて自分の人生を歩んでいってほしいという切なる思いが込められている。
例えばデンゼル先生の「イコライザー 2」もその思いでいっぱいだ。
2019年にはニプシー・ハッスルというHip-Hopアーティストが34歳で、2020年にはポップ・スモークというこれからを嘱望されていたHip-Hopアーティストが20歳で射殺されている。
これから先、例えば50年後、まだBlack Lives Matterと拳を突き上げて行進しなくてはいけないのだろうか。
それとも変わるのだろうか。
歴史を知れば知るほど、絶望的な気持ちになってくる。
なったところで、それでも歩みを止めない諦めないブラック・コミュニティの人たちの強さ逞しさ気高さを一段と痛感し、頭を垂れる思いがする。
それにしても私よくまぁMister Ceeに「あなたにとってのHip-Hopとは?」なんて質問したもんだなぁーと我ながら穴があったら入りたい。
でもまぁあの経験が一段ときちんと勉強しなくちゃという気持ちにさせられたのだから、やっぱり大事な経験だったと思う。
追記:
NCIS:LA S12の撮影を全て終えてNYに戻ったLL cool Jがマスク着用の利点を活かして、地元のあちこちに出没しては動画をアップするということをインスタでやっているんですが、つい先日、ビギーの絵の前に立った動画をアップしていたので!
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