So Be It

見た映画の感想。時にネタバレを含んでいますのでご注意ください。

ドリームガールズ (Dreamgirls)

こまったなぁ。

ドリームガールズ (字幕版)

ドリームガールズ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 困ったなぁというのはまた私の中のバイアスが発動してしまい「あ、これ白人の人が書いた脚本だー」と映画が始まって30分ぐらいから確信してなんとも複雑怪奇な気持ちの中での視聴となってしまったからだ。

 

 これを見ようと思った理由はもちろんエディ・マーフィ。

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 相変わらずめちゃくちゃカッコよかったですよ!!!

 この人のスターオーラのダダ漏れ方って尋常じゃないですよね!

 こういうのやらせたらぜーんぶ持っていっちゃう。

 

 この映画で私が心ゆくまで楽しめたのはエディ・マーフィのパートだけであとはもうひたすらもやもやもやーんとなっていた感じです。

 

 エディ・マーフィの過去記事を検索するとよく”「ドリームガールズ」で賞を逃して以降エディ・マーフィが落胆してどうのこうの....”という話をよく見かけたので、それも気になって視聴したんですが、その原因となったと言われているもう一つの映画「Norbit」を見てみないとそのあたりはまだなんと思えばいいのかよくわからないので、その件は置いておいて。

 この映画でエディ・マーフィとジェイミー・フォックスが一緒の映画に出ていたというのもなんというか贅沢コンボですよね。エディ・マーフィがスタンダップ復活するなら一緒にステージ周りしよーよーとジェイミー・フォックスが言ったとかっていう記事もよく引っ掛けましたが、ジェイミー・フォックスがスタンダップ・コメディアンならエディ・マーフィはもう✨神✨ですよね。

 

 

 ってな感じで、このまま映画と関係ない話で終わってしまいたい気持ちでいっぱいなんですが。と言うのも、この「ドリームガールズ」を自分の中でどう位置付ければいいのかいまだによくわからないというか。

 私が思ったことを正直に言ってしまえば、黒人の人たちが生み出した音楽が白人の人たちに奪われてしまった感じでアメリカの黒人の人たちの”足跡”が白人の人たちに奪われたというか白人の人たちが抱くステレオタイプイメージに塗られてしまったという印象をこの映画から受けてしまって。でもそう思う自分の感覚こそ偏ってるんじゃねーの?というツッコミもやっぱりあって。

  もやもやした気分のまま見終わった後に検索をかけてみたら映画はモータウン・レコードの創設者やダイアナ・ロスがモデルになっているとあって、モータウン・レコードのことはあんまり知らないというか社史など全然知らないというか「ワイスピ」絡みで、コーエン監督が確かモータウン・レコードに入ったとかそういう履歴の持ち主だったというのをぼんやり知っているぐらいなので、知識足らずという点も含めれば自分の受けた印象というのはやっぱりかなり信用ならないなぁというところで困ったなと。

 

 元々は1981年〜1997年にわたってブロードウエイでロングランされたり世界ツアーに出たりと人気のミュージカルで、それが2006年に映画化されたということなのだけれども。

  なんというか2006年時点で、この認識というところで出演していた人たちの気持ちというのはなかなかシュールなものだったんじゃないかしらとか思いつつも、それとも本当にこういう感じだったのかもしれないしなぁともやもやもやん。

 まぁこれまでになく大勢のアフロ・アメリカンがショービズに足を踏み入れるいいきっかけとなったという視点で見れば、まぁこれはこれでいいのかという感じなのかな。

 

 これを見ながらどうしても思い出したのは「「マ・レイニーのブラックボトム」で。「マ・レイニーのブラックボトム」は1920年代の話なので取り上げている時代は全然違うんだけれども取り巻く問題は何も変わっていないわけで。

 「マ・レイニーのブラックボトム」が上演されたのが1984年。

 1984年ってBlack History的になんだかいろんなことが起こっている年な印象になってきつつある。

 「ドリームガールズ」がアメリカのあちこちで上演されたのが1983年。

 オーガスト・ウィルソンがこの舞台を全く認識していなかったはずはないと思うので、この舞台を見たことで危機感を感じて「マ・レイニーのブラックボトム」を書いたのかしらなんてこともふと思ってしまう。

 オーガスト・ウィルソンがデンゼル先生に直接会ったのが2002年〜2003年の間のことというのも「ドリームガールズ」の映画化の噂がで始めた頃だったのかもしれないなぁとか。

 デンゼル先生にもジェイミー・フォックスが演じたカーティス役のオファーがあったという記述をどこかで読んだので、案外そのことに関する”懸案”的なことも話題にのぼったのかもしれない。

 というか、のぼっていたような気がするな。そういう話抜きにデンゼル先生を理由もなく呼び出すというのもない気が....。

 

 と、妄想を進める前に自分の書いた記事を読み返して驚いたのだけれど....(←自分で書いたくせに驚くなよ....💧)

 

 「フェンス」の映像化を託されていたのはエディ・マーフィだったんだった!!!!

 

 これ書いた時はエディ・マーフィについて深く考えたことがなかったから何も引っ掛からなかったけれども、エディ・マーフィがどうにかしてアメリカの黒人の人たちを描いたドラマを映画化して大勢の人に見てもらいたいという思いがずーーーー〜っとあったってことというか、業界の一線で働きながら危機感を感じていて、自分がやらなきゃというプレッシャーみたいなのもあったのかもとか思って。

 

 エディ・マーフィが準備していたとして、でも自分がやってもきちんと受け止めてもらえないという何か「俺じゃだめだ」というのがあったのかもしれない。

 オーガスト・ウィルソンが最初に映像化用に書き下ろしていた「フェンス」の脚本はエディ・マーフィを想定して書いてあったって、それで自分がやるんだったら手直しする必要があったってデンゼル先生言ってたから、オーガスト・ウィルソンはエディ・マーフィに託したいと思っていたし、やれる技量があると見込んでいたわけで。

  でもって、あの多弁な役はエディ・マーフィなら余裕でできるし、奥さんがいながらも浮気をしてしまうところとかもやりこなせるなぁと思ったり(まぁ年齢的なものを考えたら息子役想定だったのかもだけど。ってか、ジェームズ・アール・ジョーンズが相手役に想定されてたって自分書いてるじゃん。息子役だよね)。

 

 エディ・マーフィのためにパラマウントが映像化の権利買ったってニュースが1987年9月に上がってきている。

 1987年って「Cry Freedom」の頃だからまだデンゼル先生は客を呼べる主演俳優としてハリウッドに認識されていないってことで。 それで考えるとエディ・マーフィがいかにすごいことを成し遂げたのかっていうことを痛感する。

 

 ずーっと違和感に耐えながら、業界を生き延びてきたっていう。

 

  なんかすごくないですか。 この精神力。 押し潰されない強靭さというか。

 

 いやはや。

 エディ・マーフィ、かっこいいな。

 カッコ良すぎる。

 

と熱くなっていたら、なんかこんなの見つけちゃいました。

 エディ・マーフィがスヌープ・ドッグとコラボしていたっていう。

 っていうか2013年2月にスヌープ・ドッグがスヌープ・ライオンとしてレゲエをリリースして、8月にはすでにコラボしているのがなんかもうめちゃくちゃエディ・マーフィらしいなぁと。

 うまく言えないんですけれども、すごく腑に落ちるーみたいな。

Dolemite is My Name」にスヌープ・ドッグが登場したのもとっても納得。

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www.rollingstone.com

20年ぶりに音楽を公の場にリリースしたみたいなんですが、ずーっといろんなアーティストとコラボしたり音楽は作っていたんですね。

音楽はエディ・マーフィにとっていいデトックスなんだろうなぁと思ったり。

 

スヌープ・ライオンさんも大好きなので!

 

 スヌープ・ドッグがスヌープ・ライオンになるまでのドキュメンタリーを見た時の感想

miyelo.hatenablog.jp

 

 ここ↑で自分が書いていたんですが、

 

 "ヒップホップがいいなと思うのはお互いを支え合い思い合う強い絆だ。  皆それぞれ違ったスタンスにありながら、ここぞという時の結束力がすごい。それはずっと表舞台にいようが、すでに表舞台からは身を引いていようが関係ないところがあって、なんだかそういうところがかっこいいなと。"

 

 みんな繋がっているんだなぁって。

 

 そういえば「トレイニング・デイ」のコメンタリーでアントワーン・フークア監督がドクター・ドレもスヌープ・ドッグもきちんと時間通りに現れて、台詞も覚えてきてくれていて。よく誤解されがちだけれど2人ともすごく真面目で誠実というようなことを話していて。

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  あと、デンゼル先生が「トレイニング・デイ」には自分から出たいって監督にアプローチしてきたというのも初めて知ったのでなんだか嬉しい驚き!

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それからロケについてもデンゼル先生はすごく拘っていたらしくて、それは街の人たちに自分たちも皆と変わらない同じ人間というのを知ってもらって、いろんな希望や夢を持ってほしいという思いからなんだけれども、そういった重要性をスヌープ・ドッグやドクター・ドレもきちんと理解してくれていたって。

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 話がすっかりずれてしまいましたが、おかげで「ドリームガールズ」で喰らった違和感毒素をうまくデトックスできた気分です。

 

 毎度のことながらなんか言葉足らずすぎてなんのこっちゃですよね😅

 我ながら読み返したくないです。(おい)

 

追記: 先日オーガスト・ウィルソンが「フェンス」の映画化になぜアメリカの黒人監督であることにこだわるのかについて書いたエッセイを見つけまして。そこにアメリカの白人監督ではなく黒人監督で「フェンス」を映画化することにこだわるのは「肌の色の違い」ではなく「文化の違い」があるからだというようなことを書いてまして。それかーと腑に落ちました。「文化の違い」はニュアンスの違いの元ですから。そこがモヤるところなのかもなぁと。そこの認識をエディ・マーフィとは共有できたのにパラマウントの幹部の人たちとは共有できなかったというようなことを書いてました。痒いところに手が届かない感じというか、ほんと難しいものですね。

 

好み度: ⭐️⭐️

🍅: 78%

www.imdb.com