いやー......これはどう感想を書いたものやらか。
一応トリロジーということなんですが前作が反響をよんだからトリロジー化が決定したということなのだと思うのですが。
前回は白人至上主義や人種差別問題を広く知ってもらうという確固たる問題意識のもとに作られた映画だったんですが、今回は悲しいかな何の思いも狙いもなくただ発注されたから作りました〜的な映画。
前回同様クィンシー・ジョーンズがサントラを担当していて、前回とはガラリと変わった雰囲気にクィンシー・ジョーンズはいろんなテイストで映画の味付けができるんだぜい!と業界に知ってもらえるいい一例になったとかいうぐらいの貢献度はあるのかな。
劇中に教会のピアノ奏者である黒人の青年が「俺にも選挙権があればなぁ」というセリフがあって、1970年代ってまだ選挙権もらえてないの????とそこが気になってちょっとググってみたら、投票時の人種差別を禁じた投票権法というのが1965年に成立しているけれども.......「シカゴ7裁判」とか....「Judas and Black Messiah」で見たFBIのフレッド・ハンプトン暗殺が1969年だから......推して知るべしな感じか。
この映画にもそれっぽく選挙やらデモやら出てくるけれどもあくまでも"それっぽい”範疇。
ミスター・ティッブスが捜査の指揮をとったり、容疑者の1人が ティッブスの知り合いだったり、ティッブスの家庭での様子やら家族関係が仕事のせいでややガタついている風にも見せていたけれども、それもやっぱり”それっぽい”範疇。
監督がシナリオに書いてある通りに撮ろうとしてシドニー・ポワチエに事細かく動きを指示しでもしまくったのか、シドニー・ポワチエの動きもかなりぎこちないことに。
大好きな俳優さんが終始画面に登場しているにもかかわらずここまで睡魔に引き込まれそうになった作品はかつてないんじゃないかしら。
目的のポワチエさんが終始でてるものだから早送りもできない悲劇(←?)。
なんの一石も投じることもない感じで。
というか"それっぽい”仕様なので色々なところでしっちゃかめっちゃかすぎて。
脳が無駄に整合性を求めようとするので変な疲れ方をします。
シドニー・ポワチエの魅力を丸殺しにした監督の手腕恐るべしとでも?
もはやこれは何かの嫌がらせなんだろうかと思いかけもしたけれども、これで生活しているんです的な流れ作業でできた映画っぽいのでなんともかんとも。
作り手の愛が感じられない映画って悲しい。
私の好み度: ⭐️/5
🍅: 60%