名前はあります。
主人公のジェームズ・グレゴリーは刑務官でコサ語が話せるということで、1968年、マンデラが習慣されているロベン島にある刑務所に赴任。手紙の検閲をし、何か気が付くことがあれば公安に報告するよう言われていた。 グレゴリーはマンデラの言葉や人柄に触れ、刑務所の中での黒人に対する非人道的な扱い方に対して疑問を抱くようになる。
見る前から覚悟はしておりましたが、いや、はらわたが煮えくりかえりまくりで。
グレゴリーやグレゴリーの奥さん、同僚や上司もろもろの白人勢の剥き出しの黒人蔑視な発言に、「あんたが言ってることをそのまんまそっくりお返ししたいわ!!
全部あんたらがやってることやん!!!💢💢💢」みたいな。
グレゴリー一家が街でお買い物の時に警官による一斉取り締まりのようなものに遭遇し、警官が黒人の人たちを殴ったり、赤ん坊を抱いていようが構わず突き飛ばしたりする様子をまのあたりにして、グレゴリーの幼い娘がすっかり怖がり「どうしてあんな酷いことをするの?」と尋ねると「黒人と白人は違うの。神様が決めたことなの。神の意思なのよ」と説明するお母さん。
お母さん、神様をダシに使っちゃいけねぇよ。
なんの説明にもなっていない説明を幼い子供に無理やり押し付けようとするんじゃねぇ。
このグレゴリーという人はマンデラにシンパシーを感じるようになってマンデラが望むようにマンデラの奥さんにクリスマスプレゼントとして小さなチョコレートを渡したことで、いったん、出世街道を絶たれ、皆から冷たい目を向けられるものの、コサ語を話せる能力は貴重だったらしく、本土に戻ってそこで手紙の検閲の仕事を続けるよう命じられる。
それから数年経過し、マンデラがもう少し待遇のいい刑務所に移されることとなり、その時、再びマンデラ付きの刑務官となる。
グレゴリーの息子も一緒に刑務官となる。
さらに待遇にいい刑務所にマンデラが移ると、このグレゴリーもマンデラの家の側に用意された一軒家に移り住む。そしてマンデラの釈放されるまで刑務官として身の回りの世話をしたりするわけなのだけれども。
何だろう。
この人が図書館の禁書区画からマンデラの書いた自由憲章を持ち出した時は、もうこの人は絶対逮捕されると思ったのだけれども、逮捕されなかった。
逮捕されなかったということは、そのまんまアパルトヘイト反対とかの声をあげるとかはしなかったわけで。
でもまぁあの中で無事に生き延びるためには納得できなかろうが何だろうがグッと黙って耐えるしかないか....。
って、それで無事に生き延びられるのは白人だったからだー!!!
白人特権!!!
黒人の人たちはそうはいかない。
いつ逮捕されるか殺されるかわからない状況の中で仲間の人たちがどんどん殺されていくのを見守るしかない。
何もかもが制限される中で耐えて我慢して怯えながら生きていけというのを許容できるはずがない。そんな社会で自分の子供に生きていってもらいたいはずがない。それに対して声をあげたら、逮捕される。
白人だから、アジア人だから関係ないとそのことに危機感を感じることができなければ、国家権力の暴走を許すことになり恐ろしい結果となって自分たちに跳ね返ってくることになる。
人種差別はファシズムの最初の兆候と肝に命じていた方が良さそうだ。
とはいえグレゴリーやグレゴリーの奥さんの立場になってみたとき、まず自分たちの生活で手一杯になってしまうことはわかるし、家族が安全ならとりあえずそれで余計なことには関わりたくないって「🙈🙉🙊」モードに自分もなるだろうなぁって。
「嫌な時代になったもんだ」とか「いつからこんなおかしな社会になったんだろう..」と心の中で思いながら、グッと言いたいこと叫び出したいことを飲み込んじゃう感じになって、とにかく面倒ごとに巻き込まれたくないとどんどん卑屈になっていくだろうし、そんな自分が嫌すぎて自分を正当化しようとしてもっと人間としてダメな方ダメな方へと流れていくんだろうなと思う。
まぁ、それはそれとして。 どうも違和感があったのでちょっと調べてみることにした。
何というか、そういう刑務官の人がいたっていう実話をどう受け止めればいいのかよくわからないなぁって思って。
例えばグレゴリーの奥さんが最後にすっかり好意的モードで釈放を手で見送る感じとか。
もちろん変わらないよりは全然いいんだけれども。 でも何というか釈然としないというか腑に落ちない感じで。
で、まぁ調べて見ると27年間の獄中生活の間でマンデラさんと親しくしていた刑務官で釈放後も連絡を取り合っていた人は実は3人いるらしい。
映画の主人公でもあるジェームズ・グレゴリーさん、クリスト・ブランドさん、そしてジャック・スワートさん。
この映画の原作「GoodBye Bafana」はこの3人の刑務官の方々が経験したことを”ジェームズ・グレゴリー”1人に集約してあり、しかもゴーストライターの方がイギリスのゴシップ記事をメインに書かれている方で、そのライターの方がかなり話を盛ったらしい。(のでグレゴリーさんがわざと話を捻じ曲げたわけではないみたいな....)
加えてマンデラ元大統領がまだ獄中にいた頃、特にロベン島では近づいて会話をすることというのは厳しく制限されていたという話だ。
マンデラ元大統領の自伝「Long Walk to Freedom 」では3人の刑務官とお別れした時のことはこんなふうに書かれているらしい。(自分でまだ読めていないので伝聞ですみません💧)
”スワート刑務官が最後の食事を用意してくれた。私はこの2年間、食事を作ってくれただけでなく親しく付き合ってくれたことにお礼を言った。彼と政治の話を一切したことはなかったけれども、暗黙の了解のようなものは2人の間にあったと思う。きっと穏やかな彼の存在を懐かしく思うだろう。スワートやグレゴリー、ブランド准尉のような人たちの存在が、私を27年間投獄した人たちにも思いやりの心はあるのだという私の信念を強めてくれた”
ロベン島でマンデラ元大統領と一番親交を深めたと思われる刑務官はクリスト・ブランド准尉だということだ。
1978年にロベン島に刑務官として着任したのは18歳のとき。
マンデラ元大統領はその時60歳で、ブランドさんに対してとても敬意をもった態度で接していたそうだ。
次第にブランドさんもマンデラ元大統領に敬意の気持ちを抱くようになったとか。
彼は規則を破ってこっそりとパンや彼の好みのポマードや手紙を届けたり、孫が抱けるように取り計らったりしたそうだ。
マンデラ元大統領はブランドさんが逮捕され罰っせられないかとても心配していたという。それからマンデラ元大統領はブランドンさんの奥さんに彼に勉強を続けさせてあげてほしいと手紙を書き、ブランドンさんに勉強を続けるように励ましたりもしたとか。
当時グレゴリーさんにはほとんどマンデラ元大統領と直接話す機会はなかったブランドンさんはいう。
グレゴリーさんが亡くなる前にブランドさんはグレゴリーさんと会っていて、取材にきたのがフランス人でそれで色々間違いがあったらしいと言っていたとのこと。
実の所、ブランドさんは本の中に書かれていることの何が本当のことで何が婉曲されて書かれているか、実際にそこにいてみているので指摘できるらしいが、それでもこの映画を見るのは嬉しいらしい。「だって俺たち全員についての話だから」と。
参考記事
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