怖いというより辛い...
南スーダンの紛争からイギリスに逃れてきたボルとリアール。
不法入国者収容施設で待機状態だったが、難民申請が通るまでの間、仮保釈で収容施設から出て政府が指定した家で普通の生活をすることが許される。
二人はマイクロバスで収容所から指定された家に連れていかれ、そこで担当のマークから家の中を案内される。「ぼくの家より広いよ。幸運だったね」と去っていく。
ボルは街になじもうと早速外を散策してみることにする。
ホラー嫌いとして、見るのをためらったのですがマット・スミスが出演していることに勇気を得て視聴してみました。(←ドクターがいるなら怖さも軽減されるぜなフーヴィアン精神)
アフリカの紛争地帯から命がけで海をわたってくる人たちのリアルな心情を垣間見れたような気がした映画でした。
紛争地域でどれほど凄惨なものを目撃してきたか、そして言葉も習慣も違う新天地での先のまったく見えない生活。
どちらかでもストレスは相当なものなのだから、メンタル的にそうとうなダメージを負っていることは考えてみれば当然のことで。
さらに追い討ちをかけるような冷遇ぶり。
自分だけ生き延びたことの罪悪感、それまでにくぐりぬけてきた地獄のような体験。
仕事をしてはいけない状況では、余計に気持ちがそこに向かってしまい精神を内側から食い荒らしてしまう。
そういうことに思い当たっていなかった自分をまず恥じた。
失ったもの犠牲にしたもの後に残してきたものの大きさを考えれば、ボルとリアールはメンタル・ダメージがあたえる闇にのまれることなく新しい地でどうにか生きていって欲しいと思う。
生きていれば故郷のために何かできるかもしれない。
いつか戻ることができるかもしれない。
「私たちは悪い人間ではありません」
ボルとリアールが審査官やマークに向かって繰り返し言う言葉もつらい。
彼らには気持ち的負い目があったから。
ただあの状況下で、彼らがしたことを到底責める気持ちにはなれない。(もちろん非道なことだと思うけれど、それを糾弾できる立場にはないなと。あの場で母娘を引き離した上、娘を守ることもできなかったというわけで。でもその立場に自分が立ったら何か違ったことができる勇気があるとも思えない)
そもそも責めるべきは紛争であり、それを起こす原因を作った相手ではないかと思う。
つらいし、ボルとリアールの罪悪感が消えることは一生涯ないだろうけれども、それでも。
紛争からの難民も自然災害の被災者も否応もなく家財を失ったり、家族を失ったり、故郷を追われたりする。
爆撃が恐ろしいから、地面の揺れが恐ろしいから、噴火が恐ろしいからとそこから離れたくなる気持ちは当然のことだ。
一度経験するとその恐怖心はちょっとやそっとのことで消えるものではない。
時にTVのその後の災害地のレポートなどで「一年もたったのにまだ....」というフレーズをきくが、一年ごときで癒されるものではない。10年でもその人の負ったダメージによっては無理だろう。当人が忘れたつもりでもそういった記憶は不意に生々しく蘇ってきてその人を苦しめる。
ボルとリアールは強制送還されないためには新しい生活に順応するしかないと言われる。
全てを押し隠して何事もなかったように。
もちろん受け入れる側の緊張も理解できる。
それでも、もう少しだけどうにかなれないものなのかと思ってしまうのだけれども...。
改めて国が安定しているということはそれだけでものすごく恩恵を受けているのだなぁとしみじみ。
これが”当たり前”という思い込みを捨てて、その安定をキープするには何が重要で、何が最善の道なのか、そういうこともきちんと意識して考えておかないといけないなと。
国内でも不穏な動きを感じさせるニュースやが多い。
いつの間にこんな変な世の中になっちゃったんだろうと思うものの、元々そうでしかなくて、単に気がついてなかったってだけと言うか見えてなかった、もっと言えば怖いから深く考えないようにしていたんだなぁって。
それとも単に私の考えすぎなのかしら?
それだったら、世界がまともな方がずっといいから、私がどうかしちゃってたっていうオチの方がよっぽどいいや。
ね!
私の好み度: ⭐️⭐️⭐️/5
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