So Be It

見た映画の感想。ネタバレを含んでいますのでご注意ください。

シカゴ 7裁判 (The Trial of the Chicago 7 )

 1968年にシカゴで行われたベトナム戦争への抗議デモで逮捕された7人の裁判の様子を描く。

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    とってもアーロン・ソーキンらしい映画。

 ソーキン先生の法廷ものは結構大好物で、真の正義を求めて理不尽と断固戦う姿勢やアメリカの法制度が正しく機能すれば巨悪をとっちめることができる爽快感など、みればアメリカ国民もないのになにやらアメリカ~!!!と熱くなってしまう...というか、できていた。

 

 これまでは。

 

 理不尽すぎる裁判は悲しいかなもはや驚く気にもならない。

 アメリカでは大統領選挙の真っ最中なので今回の選挙がなぜ大切なのかと思い起こしてもらいたいと広範囲にうったえるという役割を目指したのかなとは思うのだけれど。

 

 ヒッピームーブメントみたいなのは一体どこから発生したんだろうと、ちょっと最近思い始めていたところだったので、なぜそういう振る舞いをする必要があったのかという点がわかったのはよかった。

 関心をもってもらうためだったと言われればなるほどなぁと。

 

 被告人の活動家7人のうちブラック・パンサー党のボビー・シールを除いた6人はなにがきっかけで活動家になったのかということを調べてから判断するべきことなのかもしれないけれども、こういうことが起こる前にまず”人種差別をやめろー”とBlack Lives Matter運動があったはずなのだ。

 人種差別をやめろという黒人のひとたちの活動があり、ボビー・シール以外の6人はそこに賛同して活動家となったのか、それともベトナム戦争で徴兵されることとなりその危機感から活動家となったのか。

 

 アメリカの黒人のひとたちはこれまでアメリカという国の司法制度が憲法で定められているようにはまったく機能していないことを訴えつづけていた。

 KKKや白人至上主義者に黒人の人たちが木に吊るされなぶり殺しにされてもその犯人がつかまることはない。

 この裁判でも露骨な人種差別は行われていて、ブラック・パンサー党のボビー・シールは拘留されているのに他の6人は拘留されていない。

 裁判中ボビー・シールが弁護士もつけてもらえず、拘束され、声をあげることもできなくされる。

  裁判で判決がでるまでは有罪でも犯罪者でもなんでもない。

 これで判事を裁判から外すことも罰することも更迭することもできないこと自体が問題というか恐ろしいというか...これも判事を政治などに悪利用されないために守るためのきまりなのだろうと思うけれども、弱者に不利に機能していることの方が多そうな印象で。 

 あの6人は自分たちがWhite Plivilegeにどれほど守られているかということを自覚していたんだろうか。

 「Cry For Freedom」でデンゼル先生が演じたスティーブ・ビコは南アフリカで人種差別がなかなかなくならない大きな原因の一つとしてリベラルの白人の多くが持つ無自覚の差別意識をあげていた。 リベラルの机上の理想論にふりまわされて何一つ進展しない、むしろ悪化する事態に陥っていると。

 

「シカゴ7裁判」をみていてなんとなくそのことを思い出してしまった。

 反戦デモにひっかきまわされて肝心の公民権運動が霞んでしまったのではないだろうか。

 

 同じアメリカ人である黒人の人たちに対する司法機関や司法制度の不当が是正されないことをよしとしたままでいられるということは、つまるところ権力側の統制を簡単に許すスキのある社会、権力者が好き放題できるシステムを許容しているということになる。

 チャドウィック・ボーズマンが演じていたマーシャルが活躍していた1940年代、もっとそのまえ、「The Great Debaters」でデンゼル・ワシントンが演じていたメルヴィン・トルソンが教え子たちと共にハーバート大学の学生とのディベート大会をめざした1930年代。

 そのメルビンが影響を受けたという1920年頃からスタートしたハーレム・ルネサンス。

 この頃からずっとアメリカの黒人の人たちは同じことを言い続けている。

 

 なんてことを考慮にいれると、この映画でソーキン先生はなにがしたかったのかなと。

 

 今でもアメリカに人種差別は存在しないと認識している人たち、もしくは関心のない人たちに少しでも関心をもってもらう試みだったのかな。

 警察官の人を人と思わない....というか、イキモノと認識していないかのような圧倒的暴力による制圧の仕方もこの映画の中でフューチャーされるが、昔からずーっと変わらず存在してきたこの取り締まり方は、アメリカのみならず全世界の国家権力側でマニュアル化されているとしか思えない。

 だってはんを押したように制圧のパターンが同じなのだから。

 

 もしかしたら植民地支配を行ったときに編み出された方法論なのだろうか。

 いやもっともっと太古の昔にあみだされたノウハウなんだろうな。

 そこだけに注目してしまうと、なにも変わっていないということはもう変わるのは不可能ということなのかと絶望的な気分になってしまうけれども、まちがいなくよくなってきた面もある。

  たとえばもしアメリカが謳い文句で掲げているような理想通りの国になることができたなら、この先人間社会はよりよくなっていけるという希望をもてるんじゃないかしらとか。

 

 どうなんだろう。どうなのかなー。

 

 私の好み度: ⭐️⭐️⭐️/5

🍅: 90%

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