Black Lives Matter!
アメリカでキング牧師が公民権運動をやっている最中にベトナムでアメリカの兵士として戦っている黒人の人たち。そしてベトナム人にアメリカ人として憎まれる。
自分たちを国民として平等に扱わない国の人間として憎しみをぶつけられる。
そしてベトナムの密林の中でキング牧師の暗殺のニュースをきく。
一体どんな気持ちがしたんだろうか。
アメリカ人として正当に扱われていないのに、アメリカ人として憎まれる。
アメリカ人でありたいが、アメリカが受け入れてくれない。
加えてそこにお金が絡んでくると、同じアメリカに住む黒人同士であっても憎みあい、殺しあってしまう。
そんなことをずっと繰り返してきた。
「差別問題の話についてきくのはもううんざりだという人は差別されるのはもううんざりだと思うこっちの気持ちもわかるだろう」とか「差別問題を学べる人は体験する人よりも恵まれていることを覚えていてほしい」と最近SNSでたくさんみかけるフレーズももっともで、彼らがとりあえず望んでいるのは自分の国の中で自分や家族が殺されるかもしれないという心配を毎日のようにすることなく普通に生きていきたいということ。
地獄の沙汰も金次第がリアルすぎるアメリカという社会。
セーフティネットがなさすぎる社会。
貧困国ではない。
あるところにはありすぎるほどある。
人が人として生きていけるようせめて最低限の保障がある社会を願ってなにが悪いのかという話だ。
それにしても枯れ葉剤どっぷり浴びたって大丈夫なのかな?
枯れ葉剤でDNAが傷ついて、何世代後かに影響がでるとかどうとかっていうドキュメンタリーをみたことがあるような。
軍人さんは規則で軍を訴えられないことになっているということだから明るみにはでなさそうだけれど。
黒人さん同士、部隊の仲間同士の信頼関係は鉄板だとおもっていたので、金塊が絡んだ途端にそこの地盤が崩れ出すのが悲しかった。
これも時代ということなのかしら。
心を狂わせてしまったポールの息子デヴィッドも昔ながらの"タフな男”ではない。
いわゆる黒人同士の挨拶といわれる拳をぶつけ合うやり方も知らない。
最近の映画でもジェネレーションギャップは描かれている。
それに”タフ”である必要はないというか見栄のために"タフ”に見せかける必要はないんだということはジョン・シングルトン監督の映画でも言われていたことだし、自分たちに劣等感を抱かせる”何か”の正体を探り、そこから解き放たれることに費やされた1990年代〜2020年なのかしらとも思ったり。
人種の問題と所得格差の問題。
いますぐ解決する問題ではないことは黒人の人たち自身が一番よくわかっていて、そして、世界中の誰もが避けられない問題に、いちばん長く取り組んでいるのも黒人さんたちなのではないかと感じる。
逆境を乗り越え、成功し、資本力を持ち影響力をもつ。その時にお金よりも大事なものがあるということを忘れずにいられるのかどうか、そういうこととも真剣に向き合っている。
多くの血が流された。
そのことを語り継いでいく。
その記憶を繋いでいく。
これまで歴史はずっと自分達ぬきで語られてきてしまったから。
その思いを受け継いでいる若い世代は確実に育っているし、他の人種は自分たちの苦しみを知らないと排他的になりそうな黒人の人たちの気持ちも黒人の人たちが一番わかっていて、内向きにならないように、白人や他の人種を憎しまないようにと懸命に呼びかけあっているようなそんな印象をうけることもある。
ポールのように内に抱えた怒りで壊れてしまわないように。
今回も本当に大勢の黒人さんたちが抑えきれない憤りを内に抱えていることをはっきりと目の当たりにした。
古傷だなんてとんでもない。
生々しい、激しい怒りと憎悪。
それをとんでもない精神力で別のエネルギーに転換したりすることで、日頃笑顔でいる。
今回、そのことが垣間見えて身近に黒人の友人がいる白人や他の人種の人たちもショックを受けたのではないかと思う。
ゆっくりと正していくしかないと思っていたけれども、本当に耐え難きを耐えてきているのをこれまでまったく理解していなかったとまでは言わないまでもどうしたらいいのかわからないままに日々の忙しさに紛らせ、後回しにしてきた。
だからあまり正面切って口に出さなくなった。
話を出せば向き合わないわけにはいかないからということなのかもしれない。
悲しいことにすぐにどうにかすることのできない問題だけれども、少しでも正しい知識を持つ努力はしないと。すぐにどうにかする問題でないことも他の誰よりも黒人の人たちが一番身にしみて知っているのだと思う。
まずは認識しないと修正しようもない。
自分の無意識下にある偏見、差別意識を認識し、向き合い、それを消すためになぜそう思うことになったのかをつきつめて、理解するしかない。
家ごもりでコロナウィルスの拡散を防ぐ努力をする感じで、一人一人の些細な心がけというのは案外バカにならない大きな力なのかもしれない。
歴史を知るって大事だな。
そうそうポールのノーマンへの罪悪感のくだりはデンゼル先生の「戦火の勇気」を彷彿とさせた。
どうしてそんな悲しいアクシデントが起こるようなシチュエーションになってしまったのか。
戦争だから仕方がないではなく、戦争が起こるたびに理不尽に引き裂かれた人々がゴマンといてもう2度と戦争なんかある世界で生きたくないと切実に思い続けたそのことを真の意味で重く誠実に受け止めないといけないんだと思う。
戦争を無くすことなど不可能なのだよとエライ人たちが言うならば二度と人間は優れているとか、自分たちは優れているから物事がわかっているとか言わないでほしいし、神のご意志だとかあの世の幸せが約束されているなんてことも言わないでほしい。
いまこの生きている世界で大好きな人たちとほんのひととき幸せに過ごしたいということが実現不可能な贅沢なんだとしたら何をもってそれを守るために命を投げ出せというプレッシャーをかけることが可能になるのかもうさっぱりわけがわかんないじゃないか。
公民権運動は過去の出来事ではなく今も続いているんだなと。
いままで白黒の古い写真や映像の中のできごとと思っていたことが不意に生々しさをもったというか。
そういった事実からくらった衝撃はそれまでの価値観も根底から覆すぐらいでかかった。
見ながらいろいろとクラっていたわけなんですが、そうは言いながら「チャド兄だああ❤️こういうのやらせたら天下一品❤️❤️❤️」となりまくっていたことも付け加えておきましょう。
チャド兄がもう大好きだ!(←だいぶこじらせてきているらしい)
あ!あと、マーヴィンの「シィいいいいいいいいいいいいいいいいいいっと!」も大笑いしてしまった!これは「The Wire」からのこの俳優さんの持ちネタなのか。これきいて、「ああ、どこかでみたことあると思ったらあの人かー!」と気がついたっていう。「やってくれ」って頼まれるのかしら。
私の好み度: ⭐️⭐️⭐️/5
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