ジミーは友人のモンゴメリを見張りに立てて子供の頃住んでいた家を現在の住人である白人夫婦に無断で修復するということを日々行っていた。しかし、ほどなくその夫妻も家に住めなくなり、家は空き家となってしまう。そこでジミーはモンゴメリとその家に住むことにする。
ジェントリフィケーションによって高価格となってしまい、元々住んでいた人々がもうその家に戻ることは叶わなくなる。ようやく手に入れた”家”と呼べる場所を失う。
長年暮らしていたにも関わらず、そこに属さないものとして追われるという辛さ。
その地に馴染んで、元々の故郷に戻ったところで自分は異質でしかない。
いずれまたどこかで居場所を見つけるしかないのだろうが、そのたびに奪われ追い出されるのはやりきれない。
まるではじめから存在しなかったようになんの痕跡も残らない、そのやるせなさ。
過去に故郷から無理やり大陸につれてこられ、何もなかった土地を汗水ながして人が住める地にしたのは自分達であるのに、そんな歴史などなかったかのように全て排除され、自分たちも追い出される。
元いた故郷の人々からは自分は異質と指摘されるほどにその地に馴染んでいるにも関わらず、そこを”故郷”とすることは許されない。
どちらからも弾かれてしまったら、いったいどこを”故郷”とすればいいのか。
モンゴメリーは黒人っぽくするのに練習しなくてはならないほど白人の文化に馴染んでいる。ジミーはストリート育ちで、スラングも話せるがモンゴメリーと気が合うという点で、ややいわゆる黒人っぽさからはズレつつあるようで、父親に指摘されるまで自分が白人っぽい服装をしていることに気がつかないというようなところもある。
ジミーが必死で手に入れようとしていた祖父の家というのが日本とアメリカが戦争した時にその家に住んでいた日系人が強制的に立ち退かされ空き家になったので、ジミーの祖父がそこに住むようになったという経緯もなかなか複雑な気分にさせられる。
どのくらいその地にいればよそ者扱いされなくなるのか。
アメリカの場合、それでいくと開拓時代に入ってきたあんたらもよそ者じゃないかというツッコミをうけそうなものだが。
黒人であること、白人であること、黒人っぽくあること、白人っぽくあること。
肌の色は生まれついてのものだけれど、”っぽさ”は生まれ育った場所で身についていくものだ。黒人に生まれたからといって黒人っぽくなるわけでもなければ白人に生まれたからといって白人ぽくなるわけでもない。それがなにかもはっきりとわからない。でも「白人っぽいな」とか「黒人っぽくない」とか言われてしまうのはなんなのか。
”っぽく”ならないと認めてもらえないのか?
とすれば生まれついたからというだけで差別をうけるのはどういうことなのか?
見ながらそんなことを難しい問題をツラツラと考えさせられてしまうが、基本的には力強くユーモアもたっぷりな見やすい映画だったと思う。
友情ものとしてもよかった。
クライマックスでは自分でもびっくりするぐらい泣いてしまったけれど。
ジミーはいつか自分の”家”を見つけることができるのか。
それとも彼はあの街に存在した最後の”異質”であり、もう見つけることのできない存在になるという示唆なのか。
それでもエンディングに暗さは感じなかったのだけれど。
オープニングから5〜6分間ぐらいのジミーとモンゴメリーが家につくまでの流れがとにかく力強くてかっこよくて好き。
ざわって鳥肌が立つ感じ。そこでいっきに取り込まれる。
久しぶりに映画らしい映画をみた気分。
大画面でみたかったなぁ。
あ、予告にも冒頭5分以内にこの映画が特別だってわかるって評が書いてありましたね。うん!いや、絶対いいって。いきなりぐわしって心掴まれる感じ。
私の好み度: ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️/5
🍅:94%