So Be It

映画の観方と楽しみ方を勉強中。ネタバレを含んでいますのでご注意ください

「ワイルド・スピード」シリーズと「マルチ・エスニック」を考える - 其の七

これが終わったら更新しばらく休むゾ。

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 書きながら検索したり、他の映画ブログさまの文面を読んでいてひらめくことがあって検索したりしてそこで新しい発見があったりして書き直す。多少の手直しですむならまだマシで、アプローチを変えないとどうしようもない時もある。

 そんなことを繰り返しすぎて、いったい何を書いて何を書いてないのか自分でももはや把握できていない。書きながら、 「そういえばああいうこと言ってたよなぁ」とはずみで思い出して確認のためにその記事を探し出すのにまた一苦労したり。

 まったく、いきあたりばったりで書くとろくなことがない。

 まさかこんなに引きずるとは思っていなかったので激しく後悔しているのだけれど、でも書き出した時よりもいろいろわかったこともあるのでいいや。

  まぁ、 なんでもかんでも暗号に見えてしまう疲れはてた数学者さんみたいな状況に陥っているきがしないでもないけれど。98%は大外れでも0.5%ぐらいは正解かすっていれば私にしては上出来ということで。うん。

 

 というわけであともうちょっとがんばってみる。

 

・サウスセントラル地区

ジョン・シングルトン監督の「Boyz n the Hood」が画期的だったのは、それまでラッパーたちが語ってきた世界をはじめて映像化したことにあるらしい。それまでラッパーたちしか語ってこなかったことを映像化したというべきか。 とにかく「Boyz n the Hood」にインスパイアされて、以降そういった映画が増えてきたらしい。

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 というコラム記事を読んだだけなので「そうなのかぁ....」という受け売り感覚でしかまだわかっていないのだが、そのコラムによると「Boyz n the Hood」がなければ「Juice」もなかったと書いてあったので、「Juice」ってどんな映画かしらーと検索したら1992年に公開された映画でトゥパック・シュラク主演。でもってプロデューサー蘭にニール・モリッツの名前がー!

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  同じ年にニール・モリッツはオリジナル・フィルムを創立し、オリジナル・フィルムが映画を本格的に作品をリリースしはじめるのが1998年。ニール・モリッツがロブ・コーエン監督と組んだ「The Rat Pack」もこの年だ。

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 1992年といえば4月〜5月にかけてロサンゼルス暴動が起こっている。

 たまたま深夜にやってたアナザーヒストリーでみた程度の知識しかないが、30年前のロサンゼルスってこんなにカオスだったんだと驚いた。

 それまでにつもりにつもった軋轢が一気に噴出した形だったということなのだろうか。

 あ、サウスセントラルなんですね、これ。。。(←wikiを読みながら書いている)

 サウスセントラルじゃんかよー!(←遅)

  貧困と麻薬と暴力が蔓延して警察に通報しても相手にしてもらえなくて。

 しかし、この中には普通に暮らしている人たちもいるわけだ。

 アナザーヒストリーでもあの暴動の最中違う人種同士で助け合っていた人たちがいっぱいいたことが描かれていた。

  「どうせあそこは犯罪者しかいないんだろう。しょうがないじゃん」という目で切り捨てられたこまるのだ。

 ついつい忘れがちになるが、どんな災害地だろうが激戦地だろうが犯罪地区だろうが日常生活というのがあって普通に暮らしている人々がいるってことで、いちばんとばっちりを食らうのもそういう人たちだ。

ヒップホップ関係のドキュメンタリーやジョン・シングルトン監督の映画などを見てきたことで人種差別の構造の複雑怪奇さをはじめて知った気がする。そこに他の差別も重なってくるとますます複雑になる。あまりにも複雑すぎて、もはや自分が差別的発言やふるまいを絶対にしていないという自信はとても持てない感じだ。

 ・ヒップホップが物語る歴史

 「Hip-Hop Evolution」というドキュメンタリーを見てはじめてギャングスタ・ラップというものを知った。

 ギャングスタ・ラップはLAで生まれ、それからいろんな地方でギャングスタ・ラップは作られるようになる。実体験からだったり聞きかじりだったり、いろいろなパターンが派生してくるけれども、”かっこいい”ということでギャングスタ・ラップは売れやすいという面もあったらしい。でも、ギャングスタ・ラップが蔓延しかかると反動で能天気ラップが盛り返してくるという自浄作用みたいなのもある感じなのもすごいなぁとか。

 で、「Hip-Hop Evolution」を見ていると「麻薬を売ったその資金でスタジオを借り、音楽をつくってテープを手売り。そのうちヤクを売らなくても生きていけるようになった」という話が山ほどでてきて、成功定番話みたいになっているところがある。いろんなアーティストがそんな感じでカタギの世界に這い上ってくる。みんな基本的に望みは一つ。暴力と犯罪が蔓延する中から抜け出して、殺されるかもしれない心配を日常的にする必要のない普通の生活が送りたいということ。

 面白いといっては語弊があるかもしれないけれど、麻薬売買の経験が音楽や他のビジネスを成功させるのに役にたっているという。確かに「The Wire」、「Breaking Bad」、「Better Call Saul」とかを見ている時、ドラッグを売るのって大変なんだなぁって思った。厳しい競争世界だし、信用が絶対的に欠かせないし、顧客満足の加減とかいろいろ細かく考えているんだなぁと思ったし、あれだけの努力ができるなら合法のビジネスでも問題なく成功できそうだよなぁとか。

 ・スキンヘッドとサーフィンと

 こんな感じで「ギャング」というワードはLAの背景を調べるうちに気になりだしてきた。映画やドラマとかでよく見ているけれど、これまで全然気にしてこなかったというか、怖い世界があるんだなぁというあくまでもフィクション・キャラ的な受け止め方しかしていなかったというか、実際のことは知識皆無だったので検索をかけてみる。そしたら、研究論文的なものがいくつかひっかかって。 それら読んではじめて白人至上主義派なギャングスタなるものを知った。 その系統でお寺マークな集団もでてきたとか。 アメリカでナチに傾倒って???となんかイメージなかったのですごく驚いた。

 ゆるい把握の仕方しかできていないが、LAにはその一派で悪名高い「スキンヘッド・ギャングスタ」というのがあって。で、もう一つ、これまたお寺マークをかかげた悪名高い白人至上主義ギャングスタっていうのがカリフォルニアのサーファー達っていう驚き。

 スキンヘッド・ギャングスタの成り立ちまでは手が回らなかったけれど、お寺マークなサーファー・ギャングの成り立ちは一説によると、そもそも「地元のいい波を独占したい」というところからよそ者を排除するようになったことに端を発しているらしくて、「えー、そんなことでー???」みたいな。

  このお寺マークなサーファー・ギャングたち過激化して有色人種の人たちが経営する店を襲ったりするという事件が頻発ということが、カリフォルニアのビーチで起こりまくっていたらしい。

 そういったことがカタギの人たちだけではなく、有色人種系のギャングのみなさんにも大迷惑な感じになってきて、この白人至上主義ギャングと対抗するためにマルチ・エスニックで構成されたギャングスタがでてきたそうな。

 このマルチ・エスニックなギャングスタにもいろいろあって、地元でお寺マークギャングの襲撃があったらかけつけて防戦するとか二度とこないようにボッコボコにするというようなことをもっぱらとした自衛手段的ギャングからそれぞれの有色人種系ギャング同士の橋渡し役を担う仲介者てきギャングとかまぁいろいろ。

  で、他に検索でひっかけたのがLAタイムズにカリフォルニア生まれのサーファー記者さんの記事。その人は金髪碧眼で見た目いかにもカリフォルニア生まれなビーチ・ボーイ。大学時代は別の州にいたらしいのだけど、久しぶりにもどってサーフィンしようとでかけたら突き刺さる目線がとんでもなく冷たかったと。しかもビーチの付近にはお寺マークがあちこち落書きされていて「なんじゃこりゃ...」とボーゼンとしたとか。

  これらを読んだ時、短絡的に私が思ったこと。

 ニールおいたん、あの頭じゃ勘違いされたんじゃなかろうか?

 なによりもポール兄たん、相当勘違いされたんじゃなかろうか?

 そのLAタイムズの記事の人はたまたまポール兄と出身地が同じで。生まれた時から多様な人種の人たちをご近所さんとして育っているので、白人至上主義をうたわれてもまるっきりピンとこないというか、ゾッとしたのと「なんちゅーいい迷惑」っていうことを書かれていた。 サーフィンにいけばサーファー・ギャングからお寺マークをボードに描くようにと迫られるし、断ればボコられるし、浜辺近くで店を営む有色人種の方々からお寺マーク・ギャングと勘違いされて怖がられたり疎まれたりと、それはそれは大変な迷惑を被っていたらしい。

・マルチ・エスニックがディフォルトの世界

 で、これもなんとなーく思ったのだけど、こんな感じでドラッグ関係ギャングや白人至上主義系ギャングをどうにかしないとっていう動きが映画界でも高まってきていたんじゃなかろうか。

 それでいろんな人種の映画関係者がタッグを組んで、マルチ・エスニックをアメリカのスタンダードにしようぜ的な動きを本格的に起こしはじめた。マーケティング的にもそのあたりを開拓したかったのかもしれないけれど、でもやっぱり根底にはマルチ・エスニックな人々が普通に出ているドラマや映画をいっぱい世に出すことで、それがアメリカなんだっていう感じで視覚から自然に馴染んでもらえればという感じで。

  音楽やスポーツが簡単に人々を国や人種、言語の壁を越えてつなげることができるみたいに、映画やドラマにもその力があるっていうのは、日本のアニメや漫画は好きで日本語を覚えてくれた海外の方がいっぱいいることやスターウォーズやアベンジャーズのファンが世界各地にいることを思えば疑いない。

 マルチ・エスニックになじまないといけないのは何もアメリカだけでの話ではないので、そういった作品がたくさんできて、当たり前のように目に触れるようになれば、やっぱり親しみがわくし、そういう他愛ないことの積み重ねがけっこういい効果を生むんじゃないかなぁとか思ったり。

・「ワイルド・スピード」が生まれた理由

 で、何が言いたいのかというと、「ワイルド・スピード」が生まれたのにはまずそういったことが第一の理由としてあったっぽいんじゃないかなと。

 特に「ワイルド・スピード」ではLAで育った人たちのそういった思いと決意が強かったっていう気がして。

 例えば「ワイルド・スピード」でシナリオ・ドクターを務めていたディヴィッド・エアー氏。生まれこそはイリノイ州だけれども10代をLAのサウスセントラル地区で過ごしている。「トレーニング デイ(Training day)」(←後日感想アップするけど、もうとんでもない映画) のインタビューで、今関わっている作品の話ってことで「ワイルド・スピード」の話をしていて、ずっと現場にもこられていたようで「すごくいい線いっているんだ」と手応えを感じている発言をしていたり。

 ポール兄さんが最初にニール・モリッツから企画を聞かされた時、もう一人いたユニバーサルの幹部の人がスコット・ステューバーなんだけど、この人の出身がLAのグラナダヒルズで、これまた人種・民族の多様性で有名っていう地域。

 ポール兄さんはこの二人が揃ってきたからどういう話かすぐにわかったと言っているので、ポール兄さんが「やる」って言って、兄さんのエージェントが「ダメ!」ってとめようとしたのって、そういうマルチ・エスニック化を推し進めようとする業界の人たちと協力するって意味合いもあったんじゃないかなぁとか。

 もうこのあたりまったくの推測でしかないんだけれど、ポール兄さんも暴れん坊の時期があったので、十代の頃、某サーファー・ギャングの一味だったとまでは言わないまでも、そういったマルチ・エスニックで自衛に立ち上がったグループあたりに混ざっていたことがあるとかで、二人の耳にはいっていたとか、それこそ高校時代にストリート・レースを見に行っていたということをストリート・レース関係者からきいたことがあったとかで二人の目にとまったんじゃなかろうかと。

  なんでそんな発想がでてきたのかというと、「Into the Blue」に出演していたジョシュ・ブローリンという俳優さんがサーファーで自分がサーファー・ギャングだったことをであることをまったく隠していないことを知ったからなのだけれど。

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 この人が属していたのは有名人の子供達から若手俳優、貧困などで親からネグレクトされていた子供達などがお互いに面倒を見合うために結束していたグループで仲間を思い合う気持ちはずば抜けて強かったとかどうとか。

 「Into the blue」の監督がコメンタリーでこの人がポール兄さんと親しいと話していたので調べてみたら、この人はかつて1986年に「Highway to Heaven」というドラマでポール兄さんと共演しているってわかって。

ポール兄さんがまだ13歳の時のこと。

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共演したといっても前・後編の2エピソードだけ。

それでもずっと仲がいいってことは、これはもうサーフィンつながりしかないなぁと。 

 共演きっかけでピーチでみかけて色々気にかけてくれてたのかなとか。このジョシュ・ブローリンという人は業界での人脈は表も裏も生半可じゃなく広そうなので、この人づてに話をきいたとか。(←憶測)

 

・3作目への布石

 ちなみに「ワイルド・スピード X2」のあと、ポール兄さんとニール・モリッツはワイスピ以外で一緒に仕事をしていないので、当初、兄さんはなにも知らないで隠れ蓑にされて傷ついたのかなんてことも思ったりもしたこともあったのだけど、2006年12月にニール・モリッツが「Video Business Video Hall of Fame」を受賞した時、ポール兄さんがプレゼンターをつとめているのを知って、こりゃ違うなと。

Embed from Getty Images  

 ネトフリで見た「アイリッシュマン(The Irishman)」の中でフランクが功労賞みたいなのを受賞することになって、ジミーから授与されたいとあらかじめリクエストしていたみたいな感じだったら、ニール・モリッツはこの時ポール兄さんをリクエストしてたわけで、兄さんの性格から遺恨があったら引き受けたりしないだろうし。何気にポール兄さんの功績って感じでニールおいたんが思ってるってことなのかなぁとか。

  なんてことをもやもや頭の中で考えていたら、3作目時間が空いたのはジャスティン・リン監督を待ったんだろうなぁとか、高校生設定にしたのはポール兄さんとの契約が終わってたからなんだろうなとか。でも若手をつかうことで予算をキープして4作目に備えたのかなぁなんてこともちらりほらり思えたり。

 で、2作目のあと、戻る気のなかったヴィン兄が戻って来るには何か大きな動機があったはずなんだけど、これってもしかしてポール兄さんの説得効果もあったとかなんだろうかとか。いや、それはさすがに夢みすぎかな?

 

でも、ポール兄、2003年のインタビューでこんなこと言ってるし...

 

Q:「ワイルド・スピード X2」が完成してからヴィン・ディーゼルと話した?

P兄: もちろん! なんとかしてヴィンに見に来させようとしているんだ。どうにかヴィンを引っ張り込めるよう試みるつもりなんだけど。でもどうかな。ヴィンがやりたいかどうかわからない。ヴィンの本心としては、うまくいかないことを願ってるかも。

 

 これだと「ワイルド・スピード」はもう終わったことと思っていたポール兄さんがもう関わるつもりがなくてオファーを断ったとしても、 「お前がやれって言ったからやったんだろうが!」とヴィン兄に言われちゃうと、ポール兄...、断れないよね?

 

なーんて。

眠くなってきたのでまた今度。