そもそも1作目でヴィン・ディーゼルがキャスティングされたのはどういう経緯だったのだろうか。
ポール兄さんがインタビューによるとはじめての主演で自分がプレッシャーを感じているのを知っていて、ニール・モリッツとロブ・コーエンから「頼れる共演者をつれてくるから安心して」と言われたそうだ。
・ニール・モリッツとポール・ウォーカー
ポール・ウォーカーとニール・モリッツがはじめて一緒に仕事をするのが「The Skulls」だ。
実は「The Skulls」の撮影がいつ行われたのかがよくわからない。
公開は2000年3月なので、「ワイルド・スピード」の1作目、2作目のペースを参考に考えると1999年の夏か秋頃に撮影したということになるが、撮影はしていたけれど公開は遅くなったということもありえる。
うろ覚えだが、ロブ・コーエン監督がポール・ウォーカーに「ワイルド・スピード」の話をしたのがクリスマス休暇中のマリブだったとインタビューで話しているのを読んだ記憶がある。とすれば撮影は1998年秋頃から1999年1月ぐらいだったのかもしれない。
二度と戻るつもりのなかったショウビズにポール兄さんが戻ってきたのは1996年。TVドラマ「Touched By an Angel Seson2 Episode24-Statue of Limitations (1996年5月放送)にちょい役で出演したところ、昔のエージェントがそれをみつけ「Pleasantville」のオーディションを受けさせたらしい。
なぜ「いつなのか?」ということにこだわるのかというと、「ワイルド・スピード」のネタ元となったVibeマガジンに掲載された「Racer X」の記事は1998年の5月号に掲載されたものなので、定番ストーリーで語られている、ニール・モリッツが兄さんに次はどんな映画に出たいかと尋ねて、ポール兄さんが潜入捜査官かレースと答えたことからその路線で考え出したということからすれば、ニール・モリッツとポール兄さんは「Vibe」の5月号が出るまでに、もしくは出た頃に接点をもっていなければ妙な感じがする。
とはいえ、兄さんが話したからってよくまぁそんなうってつけな話が記事としてあったもんだなぁという印象はそのあたりの話をはじめて読んだ時から感じたことでもある。
・「Racer X」は誰のための企画だったのか?
この「Racer X」は伝説のストリート・レーサーのことを書いているのだがそのレーサーはドミニカ人である。これを映画化しようと思ったのなら、この伝説のレーサーが主人公ということにならないだろうか。まぁどう描くかによるだろうけれども、
このレーサーを主人公として映画を撮ろうと思ったのであれば、どっちかといえばポール兄さん向きというよりはヴィン・ディーゼル向けな感じがする。
ちなみにこの記事の映画化権をすぐに押さえるようユニバーサルに指示をしたのはロブ・コーエン監督だ。
ここまで書いてきて、1作目のロブ・コーエン監督について気になってきた。今までノーチェックだったが、この監督にジョン・シングルトン監督、ジャスティン・リン監督という流れをニール・モリッツが思いつくということはロブ・コーエンもそういったタイプの監督なのだろうか?
軽く調べてみると、結構(←失礼)すげー人だった。
・映画「スティング」を発掘した男ロブ・コーエン
ロブ・コーエン監督は駆け出しの頃、ボツになったシナリオの山から”The Sting"を見つけて「絶対にヒットするから」と自分の首をかけてユニバーサルに買わせたという逸話の持ち主。”スティング”を見つけた若手ってころでハリウッドで名を知られるようになったそうな。
さらに1970年代にモータウンが映画部門に進出することを決めた時、幹部として雇用されている。そこでこの人はアフリカン・アメリカンの人たちの躍進ぶりをフューチャーした映画やドキュメンタリーをいくつもプロデュースしてる。
年齢をみればニール・モリッツよりも10歳年上だから、むしろニール・モリッツがノウハウをいろいろ教わったんじゃないかしらと思えるような人だった。
いやしかし、 ということはだ。
この二人が組んで映画をつくつる時、誰を前面に押し出したいと思うかということだ。
ヴィン・ディーゼルか?
ポール・ウォーカーか?
ニール・モリッツが「マルチ・エスニックなキャスティングをアメリカ映画やドラマのスタンダードにする!」ということを目標にかかげていたのであれば、「ワイルド・スピード」はもともとヴィン・ディーゼルが主演の映画だったと考えるのが自然ではないだろうか?
ちなみにニール・モリッツとロブ・コーエンが接点を持ったのはロブ・コーエンが監督した「The Rat Pack」というTV映画。
1998年8月に放送されたということぐらいしかわかっていないが、この作品でニール・モリッツがエグゼクティヴ・プロデューサーをつとめている。
ロブ・コーエン監督がVibe Magazin 5月号で「Racer X」の記事を見つけ、映像権を獲得するよう指示した頃には二人はすでに接点を持っている。
そして、この「Racer X」で書かれていた伝説のストリート・レーサーというのが、
じゃーん!
四捨五入して軽く繰上げたらまんまヴィン兄じゃん!
ロブ・コーエン監督が「Racer X」を映画化したいと思った時、最初からヴィン・ディーゼルが頭にあったかどうかまではわからない。
もしもロブ・コーエンが、ヴィン・ディーゼルのことを思って、この記事を映画化しようと思ったのでなかったとしても、1998年の7月に公開された「プライベート・ライアン」でヴィン・ディーゼルをみたら、見た瞬間に「キミにきめたー!」となったのではないだろうか。
で、企画を提出してみたら「アナポリス」のタイリース・ギブソンや「Tokyo Drift」のサン・カンのように「主人公は白人の俳優でお願いします」の壁に妨害されたなんてことはないだろうか?
検索してみるとニール・モリッツが面白いことを言っている記事が見つかった。
これによると、企画を通そうとしたらスタジオ側にティモシー・オリファントをドミニクの役にするならやってもいいよと言われたそうだ。ありがたいことにティモシー・オリファントが断ってくれたからそうならなかったと話している。
「ワイルド・スピード」はそもそもヴィン・ディーゼルありきで進められていた企画であったとすれば、その共演者としてポール・ウォーカーがピックアップされたということなのか。
これまでずっと「The Skulls」でポール・ウォーカーに目をつけたロブ・コーエン監督とニール・モリッツが、兄さん主演映画をつくろうとしたのがはじまりだと思っていたが、そもそもヴィン・ディーゼル主演で「Racer X」を映画化したいというところから全てははじまっていたなんてことはあるんだろうか。
まぁ、ニール・モリッツのことだから常に頭の中で5、6本ぐらい映画の企画が同時多発的に進行していそうなので、うまい具合に合致したということなのかもしれないが。
このあたりのモヤモヤをはっきりさせたくて「The Skulls」がいつ撮影されたのかが知りたくてたまらないのだけれどー...。
いまひとつ頭に浮かんでいる仮説として、「ワイルド・スピード」はもともとヴィン・ディーゼルが主演の映画で、ロブ・コーエンとニール・モリッツは企画を通そうとするけれど、「アナポリス」のタイリース・ギブソンや「Tokyo Drift」のサン・カンのように「主人公は白人の俳優でお願いしまーす」の壁に妨害される。
どうしたものかと悩んだ二人の前に金髪碧眼のとってもキラキラした白人のコが現れたわけだ。
二人は思う。
そうだ。このコを主演ってことで企画を通せばいいんじゃない?
このコを”隠れ蓑”にして企画を通し、実際にはヴィン・ディーゼル主演の内容のままでいく...な感じで。
おい!そこの頭ツルピカコンビ!💢
もしそうだったら許さねーゾ!💢💢
というか、私はでっきり「ワイルド・スピード」はポール・ウォーカーがニール・モリッツに「次にどんな映画に出たい?」ときかれたことがきっかけでスタートしたと思い込んでいたのだけれども、そもそもこの認識が間違っていたのかな?(←思い込み上級者)
・「隠れ蓑作戦」の可能性
「ワイルド・スピード」の1作目が元々ヴィン・ディーゼル主演で企画された映画とする。
で、「主演は白人俳優でお願いします」壁にぶちあたり、それで”隠れ蓑”作戦でいこうと思ったとして、そのことはポール兄さんも承知の上だったんだろうか?表向きはポール・ウォーカー主演となっているけれど、内実はヴィン・ディーゼル主演のままでいくよーな感じ。
これはなかなかありそうな線でないかい?
で、その後契約の関係上2作目にはでたけれど、3作目を高額ギャラでオファーされてもヴィン・ディーゼルのシリーズだからと乗っ取るようなことはせずに断ったとか?
3作目をポール・ウォーカーとタイリース・ギブソンコンビで作るという話とかあったんじゃないかな?
もし、ポール・ウォーカーがそうオファーされたとして、自分が断ることでタイリースやジョン・シングルトンの3作目の続投が難しくなると知れば、相当辛い決断になるよな?「ヴィンかタイリースを選ばなきゃいけないような立場は嫌だ」とインタビューで漏らしていた言葉もこれなら説明がつく。
それに3作目にヴィン・ディーゼルが出演する気になって、その時オファーがきたとしたら、これまた受けても断ってもどちらかを裏切ったような立場におかれてしまうわけで。
どうかな?
うーん.....
考えが煮詰まったのでまた今度。