So Be It

映画の観方と楽しみ方を勉強中。ネタバレを含んでいますのでご注意ください

「ワイルド・スピード」シリーズと「マルチ・エスニック」を考える - 其の四

 「ワイルド・スピード」がアメリカで公開されたのが2001年6月22日金曜日。

 公開されて最初の週末で既に制作費を上回る興行成績をあげ、この結果を受けて「ワイルド・スピード」続編にGoサインがでる。

「ワイルド・スピード (The Fast and The Furious )」

・制作費 3800万ドル
・公開日週末興行収入 4000万ドル
・北米・カナダ興行収入 1.45億ドル
・全世界興行収入 2.07億ドル

  週末に制作費回収できてるんだから興行的には優秀!ってことでいいんですよね??(←よくわかっていない)

 で、「ワイルド・スピード X2 ( 2 Fast 2 Furious)」が公開されたのが2003年6月6日。

 1作目から引き続きブライアン・オコナーが登場。舞台をLAからマイアミに変えて前回同様車好きが荒唐無稽に暴れまわる。

 

 ドミニクが出てこなかったことにガッカリしたファンもいたことだろう。

 ドミニクとブライアンの話を期待していたファンもがっかりしたかもしれない。

 でもドミニクを逃したあとのブライアンのことがわかるし、ブライアンの幼馴染もでてきてブライアンの過去やドミニクを逃したわけもわかる。

 続編としては十分内容を満たしているのではないだろうか。

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 ポール・ウォーカーを好きになった身からすればドミニクしかでない続編より全然嬉しかったし、なによりブライアンがピアースと仲直りできて幸せそうなので、めでたしめでたしってなもんである。

 まぁ車好きの人たちの目からみたらどうなのかはよくわからない。

 そもそも1作目も車好きの人たちの心をどう鷲掴みしたのかとか、車に関する知識皆無といっていい私には全然わからないのでその目線での評価はよくわからないのでスルーする。(車好きによる「ワイルド・スピード」を熱く語ったサイトはいくらでもあるので、その辺りのことが知りたければ軽く検索すればすぐにいっぱいでてくるよ!)

・ヴィン・ディーゼルが続編を断った理由 

 ヴィン・ディーゼルがでなかったのは「シナリオがよくなかった←80年代か90年代のドラマっぽい」、「ギャラ交渉が折り合わなかった」というのが定説だ。

 2001年6月に「ワイルド・スピード」が公開され、8月にはヴィン・ディーゼル主演で「トリプル X (xXx)」の制作がアナウンス。ロブ・コーエン監督、ニール・モリッツがプロデューサー、ヴィン・ディーゼルがエグゼクティヴ・プロデューサーである。

 2001年12月にはヴィン・ディーゼル主演で「Pitch Black」の続編がつくられることがアナウンスされた。

2001年6月 「ワイルド・スピード」公開

2001年8月 「xXx」制作アナウンス

2001年12月「Pitch Black」続編制作アナウンス

  黒人にしては白すぎる、白人にしては黒すぎるといわれ続けて主演どころか役を得るのにも一苦労していたことを思えば、とんとん拍子に決まったという印象がある。「ワイルド・スピード」の成功でヴィン・ディーゼル主演で客を動員できると説得しやすくなったことの表れだろうか。

 このチャンスを活かすことがヴィン・ディーゼルのキャリアにとってとても重要だったというのもうなづける。「黒人にしては白すぎる、白人にしては黒すぎる」というどないせぇっちゅーねんという理由からなかなか役を得られない状況に業を煮やしたヴィン・ディーゼルは自分で監督脚本プロデュースをやって映画をつくっているぐらいだ。

 

 ところで、この時のヴィン・ディーゼルに「ワイルド・スピード」の続編にでる気持ちがどのくらいあったんだろう。

 1作目ヒットの波にのって”ヴィン・ディーゼル”という商品価値を確実なものにしたいという思いはあったはずなので、続編出演のオファーがあった時、"W主演”ではなく”主演”として扱うことを条件付けたとしても別に驚きはない。

  しかし、ヴィン・ディーゼルは続編に出る出ないでスタジオ側と本当にそんなに揉めたのだろうか?

  というのも、2001年は9.11のテロが起こった年でもある。

 その割にといってはなんだが、「ワイルド・スピード  X2」のプロダクションは翌年の夏頃にはジョン・シングルトン監督で開始している。素人目には続編の制作に深刻な遅れがあったようには感じられないのだが。

 とはいえ、ヴィン・ディーゼルのインタビューを読むと、2作目のシナリオを受け取った時、なんとかシナリオを直そうと数週間試みたが結局思ったレベルに改善することはできず断ったと語っているのでヴィン・ディーゼルにオファーがいったのは確かなことなのだろう。

 

「X2」の内容から想像するに、

 

「ラストでメキシコの国境を越えたドミニク・トレット。ブライアンがドミニクを逃したために逃亡幇助で刑務所入りになっていて、ドミニクがFBIに麻薬組織への潜入を強要され、ドミニクが相方としてブライアンをリクエストする」

 ...というような展開だろうか。これだとドミニクはブライアンに助けられた恩も返せるし、二人そろって自由になるために協力して麻薬組織に運び屋として潜入するという感じでなかなかバディものとして楽しそうだ。

 ヴィン・ディーゼルが断ったことで、ドムの役割がブライアンにスイッチされ、ブライアンの役割を担うブライアンの幼馴染ローマン・ピアースを誕生させたというところだろうか。これだとリライトにそんなに手間がかからなくてすみそうだ(たぶん)。

 ヴィン・ディーゼルが断った時の候補としてあらかじめロックオンされていたのがタイリース・ギブソンということなのだろう。

・タイリース・ギブソンという選択

ではタイリース・ギブソンのキャスティングが決まった経緯を辿ってみよう。

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 タイリース初主演映画「Baby Boy」が公開されたのが2001年6月21日。

 前述の通り、当時のユニバーサルの幹部であるステイシー・スナイダーが公開された日にジョン・シングルトン監督と接触したことがはじまりだ。

 ヴィン・ディーゼルが続編に出ないこととタイリース・ギブソンが新しい共演者であることをポール・ウォーカーはいつ知ったのだろう。

 具体的な時期はわからないのだが、ポール兄さんによるとジョン・シングルトン監督とタイリース・ギブソンに紹介されたのはW Hollywoodホテルだったということだ。

 この会合がいつ行われたのかはわからないが、ジョン・シングルトンが2作目を監督するという話やリュダクリスがキャスティングされたニュースがネットにあがってきているのが2002年の7、8月頃なので、この頃にはプロダクションがはじまっていたと考えてよさそうだ。

 タイリース・ギブソンのキャスティングがアナウンスされたのがいつ頃だったのか、こちらも記事が見つけられなかったのでよくわからなかったが、2002年の6月時点で、少なくともポール・ウォーカーには次の共演者がヴィン・ディーゼルではなくタイリース・ギブソンであることを知らされていたと思われる。

 というのも、2002年6月6日にヴィン・ディーゼルとポール・ウォーカーが映画部門のベストコンビ賞を受賞した「2002 MTV Movie Awards」が開催されているが、そこにタイリースも姿を現していて、ポール兄さんと並んで写真に収まっているからだ。

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 この写真を撮られた時の動画を見つけたが、これがちょっと面白い。 

 知り合いなような知り合いじゃないような微妙な空気感。

 知り合ったばかりでお互い様子を見あっているのか、共演についてまだ口外してはいけない段階で、2人は関係ないように振舞わないといけないのに、そこを面白がってタイリースが仕掛けてきているのか(この時点でも兄さんがタイリースと共演することを知らなくて、タイリースだけが知っている状態だったとも考えられるけれど...兄さんのタイリースのちょっかいを受けて立つようなリアクションの返し方から、やっぱり承知かな?)

 こうなってくるとちょっと寂しい思いをしていたのは案外ヴィン兄さんの方かもなんて。ドミニク・トレットの役を気に入っていたのは間違いないことだろうから。

 それに「ワイルド・スピード」がこのままポール・ウォーカーとタイリース・ギブソンのコンビものシリーズとして人気がでてしまう可能性だったある。それはそれで複雑な心境だったんじゃないかなとか。

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 どうかな?

 この時点でヴィン兄さんはドミニク・トレットとして「ワイルド・スピード」に戻ってくるつもりがどのくらいあったのか?

 条件が合えば3作目での復帰する可能性はあったのか?

 

 どこから切り崩していけば答えにたどり着けるかわからないので、とりあえず「ワイルド・スピード」3作目についてもう一度見ていきたい。というのも、 もしもヴィン・ディーゼルがドミニク・トレット叙事詩をやりたいと思っていたなら3作目はラストチャンスということになるからだ。

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  ・ジョン・シングルトン監督からジャスティン・リン監督へ

 やはり気になるのがジョン・シングルトン監督からジャスティン・リン監督に決まった経緯だろうか。

 ジョン・シングルトン監督はコメンタリーで「ワイルド・スピード X2」で誕生したブライアンとピアースのコンビで続編もできるよう布石をうっていると話していたのでもしオファーがあれば引き受けていた可能性は高い。

 しかし、3作目を撮ったのはジャスティン・リン監督だ。

 この交代劇の裏には何があったのか。

 この辺りについて具体的に語られているような記事は今時点では何一つ見つけられていない。

 しかし、もしも理不尽な理由でジョン・シングルトン監督にオファーがいかなかったとすれば、あのタイリースがそのことについて口を閉ざしているというのが考えにくい。その時は言わなくとも、後になっていくらでも語り出しそうなのだが、そういった気配もない。

 ということは、ジョン・シングルトン監督もタイリース・ギブソンも最初からこの1作目だけのつもりだったということなのだろうか。

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  だとすれば、3作目はジャスティン・リンという選択肢はいつ頃から出てきたのだろう。当人は断っているにもかかわらず、かなり熱心にオファーしていた様子なのも気になる。

 ジャスティン・リン監督を采配することはニール・モリッツのアイデアだったと思っているのだが、それに関する記事も見つけられていないのであくまでも推測にすぎないわけだが、実際はどうだったのだろう。

・「Better Luck Tomorrow」ができるまで

 ニール・モリッツがジャスティン・リンに注目するとすれば、やはり2002年1月に公開された「Better Luck Tomorrow」がきっかけだろう。

 アジア系アメリカ人の若者の葛藤を描いた作品はマルチ・エスニックをアメリカのショウビズ界のディフォルトにしてみせるという信念を持っているっぽいニール・モリッツの関心を強く引いたのではないかと思う。

 

 実は「Better Luck Tomorrow」をジャスティンが完成させることができたのはラッパーのMCハマーの資金提供のおかげなのだが、この経緯がかなり面白い。

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  ジャスティンがMCハマーと出会ったのはまったくの偶然だ。二人が出会ったのは2000年。ジャスティンが「Better Luck Tomorrow」のシナリオを書いている頃のこと。

 ラスベガスでスタジオの装備をチェックしていたら突然MCハマーがスタジオの中に入ってきて「誰かDVカメラの使い方がわかるやつはいないか?」と尋ねてきたそうだ。

 そこでジャスティンがカメラの使い方を説明すると、MCハマーがジャスティンに職業を訪ねてきたので「いつか映画をつくる人間になりたいんです」と話す。すると、「その時、何か必要なものがあればいつでも電話しておいで」とMCハマーが電話番号を教えてくれたそうな。

 その時のジャスティンは「うわー!さっすがMCハマー!かっけぇー!」ぐらいな感じだったそうなのだが、それから2年後のこと。

「Better Luck Tomorrow」の準備をしながらもジャスティンの資金はもう底をつきかけていて、他に資金を出してくれそうなアテも万策つきており、それまでの苦労を全て無にしなければならないようなところまで追い詰められていた。

そこで思い出したのがMCハマーのことだ。

 ジャスティンはMCハマーが自分のことなど覚えていないことは100%確信していたが、いちかばちかで電話をしてみたらしい。

 すると電話は MCハマーにつながり、ジャスティンはそこで「Better Luck Tomorrow」の話やそれにかける自分の思いを必死で語ったところ、MCハマーは「それでいくら必要なんだ?』とあっさり。サインや書類など要求することもなくジャスティンに投資してくれたそうな。

 それをきっかけにジャスティンとMCハマーは友達となったらしい。ジャスティンはMCハマーから人として大切なことをたくさん学ばせてもらい、とても尊敬しているとインタビューで話している。

  ジャスティン・リンんの人柄や挫けなさっぷりを示すエピソードだなと。

 

 (ええ、まぁ、それとニール・モリッツがどう関係あるんだといわれると別に...ただついでに書きたかっただけです。はい。←こんなことしているから何を書こうとしていたのか忘れてこまるはめになるんだってば!)

 

 残念ながらニール・モリッツがどの時点からジャスティン・リンにアプローチをかけていたのかわかる記事は今の所見つけられていない。しかし、「アナポリス 青春の誓い(Annapolis)」の撮影中にジャスティン・リンに「ワイルド・スピード」3作目のオファーの電話があって、そこにたまたまタイリース・ギブソンがいてジャスティンがその気になるような話をしたというのは偶然にしてもなんだかできすぎな感じがして...。

 もっとも後からみればそう感じるだけで、本当に単なる偶然だったのかもしれないけれど...。

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 と、ここまで書いてみて、ちょっとひらめくことがあって、Imdbで「アナポリス」のプロデューサーをチェックしてみた。

 すると...面白いことがわかった。

 

 (ええ、いきあたりばったりに書いてるんですよこれ。ちゃんと最終的に目指すゴールにたどり着けるのかそろそろ不安になってきております)

 

・「アナポリス 青春の誓い」と「ワイルド・スピード」の接点は?

  Imdbを眺めていて、「アナポリス」のエグゼクティヴ・プロデューサーというのが 「Boyz in the hood」のプロデューサーをしていたことに気がついた。

 つまりジョン・シングルトン監督とつながりがあるわけだ。さらに、「アナポリス」のプロデューサーの中にニール・モリッツと接点を持つプロデューサーの名前も見つけた。

 その接点とは「Out of time」という2003年に公開されたデンゼル・ワシントン主演の映画でニール・モリッツの名前がプロデューサーの中にある...って今気がついたのだが、この映画の脚本を書いた人が「アナポリス」の脚本を書いたデイヴ・コラードじゃないか!

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  ついでにこの「タイムリミット(Out of Time)」には「ワイルド・スピード X2」でブライアンといい感じになりかけていた女潜入捜査官を演じたエヴァ・メンデスも出ている。

 なんだか、めちゃくちゃ身内臭がただよってきたような...。

 いやどうだろう。

 でもでも、これだったら、「アナポリス」に直接関わっていなくともニール・モリッツが「そういえばあれってどうなったん?」と関係者にきくチャンスぐらいはありそうな感じが....。 

 というか「アナポリス 青春の誓い」を見たときに主人公は黒人の若者という設定の方がすんなり行くのではないのかしらと仄っと思ったことを思い出した。もしかしたら、そもそもそのつもりで書かれた脚本だったなんてことある?

 というか最初から「アナポリス 青春の誓い」ってタイリース・ギブソンを主演と想定して書かれた脚本だったとかってことは.....

  ・映画「アナポリス 青春の誓い (Annapolis)」

 コメンタリーをきいた時のうろ覚えなのだが、そもそも新進気鋭の才能を組ませてみようという企画だったので、この映画は最初から有望若手監督に撮らせる予定だったのだと思う。だから、ジャスティン・リンもその候補の1人だったのだろうと思う。「監督をしたい」とジャスティンが申し出てから約1年なしのつぶてだったというから他にも候補者はいたってことなのだろう。しかし、いろいろ検索をかけてみても他の監督の名前を見つけることはできなかった。

 検索してわかったのだが、「アナポリス」ロケ地についても随分と揉めたようだ。

 当初はアナポリス、バルチモアで撮影しようとしたのだが、交渉がなかなかうまくいかなかったらしい。

 2002年にディズニーがデイヴ・コラードから海軍士官学校でのボクシング大会についてのアイデアを買ったことが記事となり、アナポリスとバルチモアで撮影する予定ということで地元は経済効果も見込んで沸き立ったとある。ところが2004年8月にはフィラデルフィアに撮影地を移すことにしたと記事になっている。予算もがくーんと下がったことも書かれていた。そのちょっと前、2004年3月の記事ではジャスティン・リン監督、ジェイムズ・フランコが主演で映画は撮影されるだろうと書かれている。

 つまり、2004年3月にはジャスティン・リン監督でいくことで決定していたということだ。

 ややこしいのでちょっと整理。

 

時系列はこんな感じ↓

2001年 6月「ワイルド・スピード」、「Baby Boy」公開

2002年 1月「Better Luck Tomorrow」公開

2002年 3月 ディズニーが「Annapolis」のアイデアを購入したとの記事

2002年 7月〜「ワイルド・スピード X2」制作開始

2003年 6月「ワイルド・スピード X2」公開

2004年 3月 「アナポリス」はジャスティン・リン監督、ジェイムズ・フランコ主演らしいことが記事に。

2004年 6月「Annapolis (アナポリス)」制作開始

2004年10月 ジョン・シングルトン監督「Four Brothers」制作アナウンス

2005年 6月 ジャスティン・リン監督で「ワイルド・スピード Tokyo Drift」制作開始

  ふと思ったのだが、「アナポリス」の監督候補者がジョン・シングルトン監督だったってことはあるだろうか?

 威厳漂いまくりの立派な風格についつい失念していたが、ジョン・シングルトン監督もこの時十分新進気鋭の若手監督といえる年齢だったような。

 ええっと、ジャスティン・リン監督は1971年生まれ。ジョン・シングルトン監督1968年生まれ。2002年時点で31歳と34歳。監督してはどちらも若手枠でいける年齢...と思う。

 仮に「アナポリス」は先にジョン・シングルトン監督で話が進んでいたとする。

 で、「アナポリス」のシナリオをデイヴ・コラードが書き上げるまでにまだ時間があるから、その合間に「ワイルド・スピード」続編の監督をお願いできませんかってな的な話になったんだろうか。

 それとも「アナポリス」をタイリース主演でいくための説得材料として「ワイルド・スピード」の2作目に出て、俳優としてのタイリースの知名度をあげるっていうのはどうでしょう的なプレゼンをニール・モリッツがもっていったとか?

 「ワイルド・スピード」に出てヴィン・ディーゼル主演の企画も2本通りましたよ。だからタイリースも続編にでることで新たなファン層も開拓できて、説得材料もできるんじゃないかって(...なんだか広告枠売るときの営業みたになってるけれど)

 それとももともと「アナポリス」のアイデアをジョン・シングルトン監督が気に入って、タイリース・ギブソン主演でデイヴ・コラードと話を進めていたらディズニーがアイデアを気に入ってくれたのに、その後交渉が難航し、なんかいい方法はないものかねぇ?とニール・モリッツに相談がいったとか?

 マイアミに舞台をうつしたのも「アナポリス」の打ち合わせにもでかけられるよう東海岸にいようねな感じ???(←安易すぎないか)

 

 なんてことをぼんやり考えながら検索をかけていたら、タイリースが2006年のインタビューで「アナポリス」についてこんなことを言っているのを見つけた。

  

- Well, just so you know they didn't want to go with a black actor on this film at all as a lead. So that was one of the things that I was the most proud about as far as my theatrical team and that execution because it became the thing of like, 'You've got five minutes.' Like Eminem says, 'You only get one shot.' You're either going to go in there and convince them to go with a black lead on this or they're going to follow their own instincts and their own opinions and go with a white lead. I don't know if it's one of the things where they just want to play it safe and make sure that this film appeals to a broader audience, or whatever the case might be, but they weren't interested in a black actor.

  ようはどんなに交渉しても黒人俳優よりも白人俳優主演であることが相手の必須条件であることが変わらなかったらしく...。

 ジョン・シングルトン監督が関わっていたかどうかは憶測のいきをでないけれども、タイリースを主人公で「アナポリス」を作ろうとしていた動きがあったことは確かなようだ。

 とすれば、タイリース主演で集客できるという説得材料のため「ワイルド・スピード」の続編に出てみる?な感じで...?

 でもヴィン・ディーゼルが断ったからタイリースにオファーがいったわけだから、そこは関係ないのかな?

 それとも最初から2作目はタイリースでいくつもりだったとか?

 それでいくならヴィン・ディーゼルも最初から1作しかでるつもりなかったとかなのかしら。

 そもそも続編が発注されるとは誰も思ってなかったのかもね。

 だからつもりも何も...。 

 

 とすれば、ヴィン・ディーゼルも2作目を断った時点で、「ワイルド・スピード」については区切りをつけてたってことかな。

 で、2作目公開したら3作目の話もきたってこと?

 ジョン・シングルトン監督とタイリースへはオファーしなかったのかな?(そのときには既に二人とももう予定は塞がっていたとか?)

 それとも、せっかく降ってわいたチャンスだからこんどはアジアン・アメリカンの監督でいってみよーって感じだったのかな?

 

 だからジャスティン・リンを待つことにした。

 だから、2作目と3作目の間があいたってこと?

 

 それともヴィン・ディーゼルが戻ろうとしてたってことなのかな?

 どうなんだろう???

 

 ってか、なんか全然ポール兄さんのことが考慮されてない感じがあるのは気のせい??

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