ネトフリに勧められるままに視聴。
天才とはこういうことと思い知る。
マイルス・デイヴィスというジャズ・トランペッターのドキュメンタリーを見たのだけど、「すばらしき映画音楽たち(SCORE: A Film Music Documentary」を見た後だけに、映像をみながら即興で「死刑台のエレベータ」にBGMつけたことの凄さにまず呆然。
どうかしているとしか思えない才能。
他を寄せ付けない天才とはこういうことをいうんだなぁと。
もう音楽がないと文字通り生きられない人というか、音楽はこの人にとっての言語なんだなと感じて、そういう才能に生まれ付くというのはとんもなく異端な存在であることを余儀なくされるんだなぁとか、そんなことをぼんやりと思った。
新しいメロディを次々と見つけ出そうとするそこはかとない貪欲さは常に新しいリズムとライムを見つけ出そうとするヒップホップに通じるものがあって、なんというか根っ子は同じなんだなぁと。
リズムの即興感というのはアフリカン・アメリカンの人たちのDNAに刻みこまれているのかしらと思うような。
ただただ凄いなぁ....と最初から最後まで口をポカーンとあけてみているような感じだった。
フランスやヨーロッパでみとめられた後にアメリカに戻った時にマイルス・デイヴィスが実感してしまう「アメリカのアフリカン・アメリカンの虐げられ方の現実」というものがこれまた衝撃すぎるというか。
既に名を成していて、ファッション・リーダーとなりNYで毎夜ライブをしているような絶頂期であってさえ、ただの親切心で白人の女性の人にタクシーを停めてあげただけで、警察から呼び止められて殴られるっていう。
裕福であろうが、音楽で大成していようが、変わることなくつきまとう”差別”というのは...もうなんなんだろう。
それさえなければ薬やアルコールに溺れることもなかっただろうに。薬やアルコールも才能に必要というのは大嘘だと思う。すくなくとも溺れてしまってはもう才能を殺すだけだ。
最高にたどり着きたい衝動をそのことによって阻害されるもどかしさ、自分への腹立たしさから荒廃していく様は痛々しかった。
痛々しかったけれど、奥さんたちとか、とてもじゃないけれどそばにいられないのもわかる。
というか、ああいう天才の人たちのことはメディア越しに見るぐらいでいいです。
台風みたいなもので天才の暴風圏内にまきこまれたらもうたまったもんじゃない。
踏みとどまれる人もいるだろうけれど、いやはや。
でもマイルス・デイヴィスの音楽への貪欲さが彼をいつも立ち直らせるというか、生の方向にもっていくというか、音楽に生かされてる感もなんかすごかった。新しい音楽を生産しなければならない本能のようなものに突き動かされてるだけなんじゃないかっていうぐらいに。凄ますぎるというか、なんだか畏怖しかない感じ。
マイルス・デイヴィスはアルコールも薬も絶って健康的に過ごした期間、どん底だったのがまた音楽を追求する意欲を取り戻す。
最後にはもう新しいメロディが聞けないのだと、悲しくなると語っていたマイルス・デイヴィスを直接知る人たちの気持ちと同じ気持ちになっていた。
いや、ほんとすごい。
ネトフリさん、いいもの勧めてくださいました。
ありがとう。
私の好み度: ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️/5
🍅: 93%