So Be It

映画の観方と楽しみ方を勉強中。ネタバレを含んでいますのでご注意ください

ポール・ウォーカーの足跡 : ワイスピ・ファミリーがとってもファミリーになった理由を考えて...というか妄想してみた。

 先日のライブコンサートの動画をようやく見まして (←大騒ぎしていた割にライブ配信があったのを知らずにいたヤツ) 

 

 マイアミといえば「ワイルド・スピード X2 (2 fast 2 furious)」。  

 ということでタイリースがホストをつとめ、リュダクリスがライブパフォーマンス。リュダクリスのライブを見るのは初めてだったので嬉しい。  

    実は「ワイルド・スピード X2 (2 Fast 2 Furious)」のプロモーション関連で、ポール・ウォーカーのドイツでのインタビューを見つけまして。

 その中で、「契約がなければロブ・コーエン監督とヴィン・ディーゼル抜きで続編に出演するなんてありえなかった。でもスタジオ側が監督を選ぶ時に誠意をみせてくれて、結果的に続編ができてとても嬉しい」と話しておりました。  

 で、3作目についても質問されていて、「1週目の興行成績をみた?もちろんスタジオ側は3作目に出て欲しいって言ってきたよ。でも、今回はもう契約に縛られてないからね。ぼくの条件はジョン・シングルトン監督とタイリース。そうじゃなきゃでない。でもね、スタジオ側に関心があるのはキャラクターじゃなくてライフスタイルなんだ。それから、車と美女。ぼくが出るか出ないかは全然重要じゃないんだよ」とも。

 コメンタリーでジョン・シングルトン監督は続編を見越した話もしていたので、オファーがあれば監督もタイリースも続投する気あったんじゃないかなぁと。 

 ポールさんのこのインタビューの日付は2003年6月。

 で、ジャスティン・リン監督が3作目を引き受けるのが、2005年1月。

 結構な間が空いてるなぁと。  

 1作目の時は2001年8月~9月にプロモーションをやっていて、2002年の秋頃には撮影が始まっているので、ヴィン兄さんもコーエン監督も続投しない意思を伝えたのは相当早かったってことですよね。  

  2002年12月の取材で、ヴィンと一緒にもう一度やりたかったけれど、しょうがないよね。それに今はもう何も変えたくない」とすっかりジョン・シングルトン監督、タイリース、リュダクリスと馴染んでいるし、もし続編をやるならこのメンバーでなければ嫌だと固く思っていたはず。

 契約からも解放されて、ジョン・シングルトン監督が続投しないと確定した時点でポールさんの中でこのシリーズはやっぱり終わっていたんじゃないかなぁとこのインタビューを読んでふと思った。

 ヴィン・ディーゼルのドミニク・トレット叙事詩構想を知っていたとしても、この時点でポール・ウォーカーさん的には両方とも大切な仲間になってしまっているのでどっちかを選ぶというようなシチュエーションになってほしくなかっただろうなぁと。

  

 なんてことをぼんやり思っていたら、ふとポール・ウォーカーさんは4作目にどの時点から関わりはじめていたのかなぁと思いまして。

 4作目は幸いたっぷり準備する時間があったとジャスティン・リン監督は言っていたのですが、だったら、そもそもヴィン兄さんはいつから4作目に向けて本格的に動き出していたんだろうかと。

 「Tokyo Drift」のプロモーションが2006年の春頃でジャスティン・リン監督が4作目の打診を受けていたのもその頃だから、この時にはヴィン兄さんとニール・モリッツは既に再始動に向けて水面下で色々と動き出していたと考えていいはず。

 2006年の8月にジャスティンはインディ映画を撮っているので、本格的にがっつりと取り組みはじめたのは2006年の後半かな。

 ポール・ウォーカーさんの2006年は表立ってわかるのは「Eight Below」のプロモーションで海外行脚しつつ「Running Scared」のプロモーションもウェイン監督と国内で地道にイベントとか回っていた感じ。2007年は「L project」の撮影があったぐらいで他に作品に出ていない感じなので、車に関することなどジャスティン監督の相談に乗ってあげるとか、4作目の準備の手伝いもしていたのかなぁとか。2006年半ばぐらいからヴィン・ディーゼルとニール・モリッツ、ジャスティン・リンとポール・ウォーカーで密かにプレプロダクションやってたとかって可能性もなくもなくもなくも....。

 

 エージェントから4作目の出演の話をきいた時もニール・モリッツから電話がかかってきても首を縦にふらず、ヴィン・ディーゼルから電話がかかってきて、ようやく承諾したとインタビューで言っていたけれど、最初に話をきいた時はポールさんやっぱり「今さら続編って冗談だろ?」と思ったのかもしれないなぁと。

 ヴィン兄さんから「本当の続編をつくるぞ」と言われて、でも2作目が存在しなかったみたいな扱いされるのも絶対嫌だと思っただろうし、そのことも言ったりしたんじゃないかなぁと思ったり。それをヴィン兄さんも予測しなかったわけじゃないだろうし。

 ポールさん、ヴィン兄さんのことを「人を試すようなことをしたり、なかなか手の内をあかさない」って言ってたりしていたので、案外この時点までヴィン兄さんがどれほど自分が続編本気でやるつもりだったかポールさんにも案外言ってなかったかもしれないなぁとか。ミシェル・ロドリゲスがレティが実は4作目で死んでなくて5作目に伏線はられてたっていうのを映画館で知ったみたいな感じで。

 ポールさんが3作目を断ったところで、もしも契約に縛られてなければポールさんが2作目に出ることもなかったっていうことが本気だったっていうのをヴィン兄さん、あらためて確認したところで一段と信頼度はあがっただろうし。なんとかしなきゃって気持ちも強まったかも。だって、そもそもポールさん主演ではじまった企画だったんだから、ポールさんがよいギャラで3作目をやったところで誰に後ろ指さされる話でもないのに。

 もしもポールさんがヴィン兄さんの叙事詩計画を知っていたなら、「タイリースとジョン・シングルトン監督が続投でなければやんない」と言ったっていうのはヴィン兄さんへのぷんすか💢も若干含まれている感じがしないでもない。自分をややこしい立場に追い込みやがってー💢っていう。  

  4作目のプレプロダクションが公式に始まるのは2007年11月からだけど、それまでに相当動いていたんじゃないかなぁとか。

 SNSをつかってのリサーチとか、スタジオにやる価値ありと思わせる資料を準備したり、どのくらいの予算が必要そうか逆に目処をつけたり、それからみんなのスケジュールの調整。どのタイミングなら参加できそうかとかとか。  

 ヴィン兄さんとジャスティン・リン監督は3部作のストーリーを大まかには考えていたって言ってた。自分が監督をクビになった時のためにこの旅がどこに向かうのかヴィン・ディーゼルに全部伝えておいたってジャスティン言ってたし。

 でもまずは4作目「Fast and Furious」。

 先のことも見越してつくってはいたけれど、でもみんな契約を結んだのはとりあえずこの一本。失敗したらそれまで。

 もしも成功しても契約に縛られないし、それを交渉の材料にもできる。

 スタジオ側にアドバンテージ持てるようにそんな作戦をたてていたのかもしれない。  ヴィン兄さんがロドリゲス姉さんやハンをつれて前哨戦にあたる短編映画を撮ったその準備もその流れでやっていたのかなとか。

 そうなるとサン・カンさんと遭遇している可能性もでてくるし。最初はタイリースも出てくるはずだったっていうから、どこかの時点で覗きにくるぐらいのことはしていたかもしれない。

 ポストプロダクションも終えて完成したのが2008年12月。  

 2006年から2008年、この期間の密度があの人たちが家族となっていく上で相当高かったんじゃないかなと。  

 仕事場に子供たちも連れてきていただろうし、ヴィン兄さんやジョダーナさんがミドゥさんにとって親同然な存在になっていったのもこの頃かなとか。  

 ヴィン兄さんの最初のお子さんが「Fast and Furious」の撮影中に誕生しているわけだから、この頃のポールさんとミドゥさんの様子はヴィン兄さんにとっては相当な関心ごとだったんじゃないかしらとか。

 まだ新米パパさんだった頃のポールさんと約8年後のポールさんのパパぶりをみて、子供っていいなって思うところがあったんじゃなかろうか。

 ポールさんがインタビューで話していた”分娩室に入るか入らないか”のことでヴィン兄さんが随分自分に心開いてくれてたんだなって驚いたっていうあれは、分娩室に入るか入らないかだけの話ではなく、ヴィン兄さん的にはその流れもあってのポールさんの言葉だったのかなとか。

 ヴィン兄さんがミドゥさんのゴッドファーザーになったのも一番最初の息子さんが誕生したながれかなとか。 ヴィン兄さん的にはポールさんのおかげというのは分娩室に入るか入らないかの決断というだけではなく、もしや子供を持つか持たないかの決心だったんじゃなかろうかと。

 ヴィン兄さんのお母さんから「あなたのおかげで子供を持つ気になったのよ」と聞かされた方が、ポールさんのビックリに値するような。

 なんでもだだ漏れで話しているようでこの人は肝心のことをもらさないことにものすごく長けているので、私的なことにかかわるすごく大事な話はそのまんま話したりはしないだろうなと。子供を持つか持たないかで悩んだなんて話は、生まれてくる子供が絶対に知る必要のない話だし。

 ヴィン兄さんが、もしポールさんとミドゥさんの存在がなければヴィン兄さんが自分が父親になる勇気が持てたかわからないとまで思っていて、それで娘さんにポールさんの名前にちなんだお名前をつけたっていう方が自然かなぁって。。 いや、まぁ出産に立ち会うかどうかも男の人にとっては相当な決心かもしれないけれど....(つきそって自分が気を失ったっていう話もきくし...)。

 ポール・ウォーカーのお母さんと懇意になったのもこの頃とかで「あの子も自分がちゃんとした父親になれるかどうかって相当悩んでたのよ〜」なんて話もヴィン兄さん、きいたりしたのかも。

 だとすれば、1作目でヴィン兄さんがいてくれたことでポールさんがどれだけプレッシャーから解放されたのかという話とかもお母さんの頭にあったから、ポールさんのお母さんがヴィン兄さんに「あなたはもう一人のあなたを失ったんだもの」と慰めたっていうのもなんとなく。

  

 まぁ、いろいろ妄想たくましくふくらませてすみません。

 ええ妄想です。

 ぜーんぶ根拠のない妄想です。

 

 タイリース・ギブソンが先日Great Western Forum LAでコンサートをしたようなんですがチケットが完売したということで。

 
 
 
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LA!!!!!!! We’re gonna dance!!!!!!!!!!!!!!!!

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 おお、タイリースがなんか喜んでいるっていうぐらいで最初はそれがどういう意味をもつのかよくわかっていなかったんですが...(この人SNSへの投下物が過剰に多いので日頃けっこう流し読みーな感じで)。

 でもそしたら、はしゃいでる感じなモードだったのに急にポール・ウォーカーさんとジョン・シングルトン監督の写真をアップしたので。ど、どうしたんだろうと、こっちも動揺。

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とはいえ、バレンタインデーにジョダーナさんもブライアンとミアの画像をあげていたりしたので、

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 バレンタインデーだからかなと。あちらでは告白とかどうとかっていうよりも大事な人を思う日っていう意味合いも強いような印象なので。

 そしたら、ハン・カンがコンサートに招待してくれてありがとー!と投稿。

 
 
 
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Beautiful evening...thank you @tyrese

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 で、ほどなくジャスティン・リン監督も「LAで育った身からすればGreat Western Forumはメッカみたいなもの!」と投稿。ああ、二人とも招待されていたのかーとほんわか。しつつ、それでジョン・シングルトン監督とポールさんの写真だったのかと。二人にも来て欲しかったんだなぁと。二人ともLAっ子ですし。

空から一緒に見ていてねって意味だったのかなぁとか。

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 タイリースが「Fast 9編集で忙しい最中に来てくれて、そばにいてくれてありがとう」とジャスティンに。

 

 

 インスタでこの人たちをフォローするのは危険ですね。

 涙腺直撃地雷がとうとつに暴発するので...。

 

 

 ううう...

 しくしく、えぐえぐ...

 なんでこんなに胸痛くならなあかんのか。

 あほですね。

 我ながらドあほだと思います。

 

追記 (2020年2月21日) コービー・ブライアントとジョン・シングルトン監督と、ポール・ウォーカーに歌と祈りを捧げていました。「Paul Walker, My brother.」

 

 
 
 
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I’ve decided to put my head down and stay prayed up! I hope I never get used to this life #grateful #humbled by your love!

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