レンタカー19番のとある1日。
海外ドラマ「スーパナチュラル」の中に主人公であるディーン・ウィンチェスターが「おれのベイビー」と愛してやまない愛車シボレーインパラ 67 (Chevrolet Impala 67) が主人公となる「愛しのインパラ (Supernatural Season 11 Episode 4 - Baby)」というエピソードがある。
全てのドラマがこのベイビーことインパラ 67の目線で描かれる。
車の目というと、わたし的にはなんとなくヘッドライドなイメージなのだが、おそらく車に宿る魂の眼差しなのだろう。
基本「車内からフロントガラスを通して見える光景=インパラの眼差し」という了解のもとドラマはすすむ。
インパラが見たある日のディーンとサムの1日だ。
ベイビーはサムとディーンの死闘も喜びも悲しみも全て目撃している。
ベイビーはあくまでもただの車であり意志をもつはずもない。
それでもここぞというときにディーンとサムを守ってくれているようでもあり、どんなときでも側にいてくれる...ような気がしてくる。
そういうエピソードだ。
この「Vehicle 19」という映画は19番というレンタカーの眼差しで全編綴られる。
19番はレンタカーなので乗り手とさしたる絆はない。
ただただ見守り、そして返却されればまた新たな客を迎える。
19番はミニバンなのだが、レンタカーとしての役割を黙々とこなしている。
そんなレンタカー19番とその日乗り込んだ客の1日が描かれた映画なのだ。
その日、レンタカー19番に乗り込んできたのは南アフリカに到着したばかりのアメリカ人マイケルだ。
19番は彼が望んだ車種ではなかったらしいのだが、先を急ぐ彼はレンタル・カー会社が代わりの車を用意するというのを待たずにそのまま19番に乗り込んでくる。
彼はどうやら1年半ぶりに奥さんと再会するつもりらしいのだ。
それまで彼は服役しており、ようやく仮釈放されたらしい。
奥さんを繋ぎ止めたいマイケルはとにかく奥さんと直接会って話がしたい思いで、本来仮釈放中の身で渡航の許可がおりなかったにも関わらず、南アフリカに飛んできてしまったようなのだ。
座席に転がったカバンからアルコールの小瓶が2本みえる。
服役した理由のアルコールが原因なのかもしれない。
ところが実は19番には先客がいたのだ。
マイケルが乗り込んでくる前から中にずっといた。
そのことに気がついた瞬間からマイケルはとんでもない事態にまきこまれていくことになる。
巻き込まれ型のピンチと引くに引けないシチュエーションにマイケルを追い込むために相当強引なところはあったが、なかなか面白い趣向の映画だったと思う。
全てがレンタカー19番の目線を通して起こるので、見る側の目線もはじまりからおわりまで車の中。
自分が頼んだ車種と違うレンタカーに乗ってしまったがために、警察署長とその上層部の汚職を知り、裁判で唯一の証言ができる人間となってしまったマイケルは凶悪殺人犯と指名手配され、射殺許可を受けている警官たちに追い掛け回されることになる。
唯一信用できるという判事のもとを目指して慣れない街を命からがら車で走り回るマイケル。
このマイケルという人物は子供の頃より父親から「クッキーのような心の持ち主」と罵倒され続けてきたのだが、ようはプレッシャーに耐えられず、すぐに心が折れてしまう性格の持ち主。
予測外のことがおこるとすぐ頭に血がのぼって激昂してしまう。落ち着いて考えればすぎに気がつけそうなことも、動揺するとまったく気が回らなくなってしまう。その気の弱さからストレスを感じるとすぐにアルコールに逃げていたのだろう。
このヘタレもヘタレなマイケルが人生最大の危機に追い詰められ、ついに勇気を振り絞って命がけで正しいことをする決心をする。
途中でマイケルが出会う塗装屋のみなさんが何気にいい人たちすぎたことと、登場人物全員がIQをどこかに忘れてきたんじゃないかというぐらい目の前にあることに気がつかないとか、簡単に思いつけそうな他の手段をとらないことさえ気にしなければ、なかなかスリリング映像体験ができる映画だったと思う。
南アフリカのそれまでの歴史を考えれば、白人のマイケルをスラム街に住む黒人(塗装屋のみなさん)が利害抜きで助けの手を差し伸べてくれるというのは意味深いことのようにも思えなくもない。
南アフリカといえばリゾート地というイメージだったが、この映画では車はかつてアパルトヘイト政策で黒人居住区とされていた地区にもはいっていく。あのあたりの実風景や都市部と比べると大きな格差が存在することを見せることも重要な意図だったのかなと思ったり。ずっと車目線なので軽く車酔いしながらのあまり快適とはいえない視聴だったのだが、それでもよく撮りきったなぁと。
プラマイでゼロとはならない好印象をもてる映画だった。
まぁ、そこはポール・ウォーカーだからだろうと言われれば、そうなのだが、でもこの映画をみてはじめて心からポール・ウォーカーのことをいい俳優さんだと思った。
確かにこの人は作り込んだ演技はできないかもしれない。
しかし、状況の中に自分を埋没させ、役柄の身になってそこから生まれる感情をストレートに抽出することができる。
その抽出した感情を表現するテクニックはまだ少ないので一本調子になりがちなところはあるけれども、確実にいい俳優さんになってるというのを実感した。
これが色眼鏡だろうが贔屓目だろうがもう知ったことではない。
当人が演じることに苦手意識をもっていて、拙いともわかっていてそれでもなんとか最善をつくそうと試行錯誤してきたその成果が実ってきている。
それが間違いなく見えた気がした。
それとも、この人のポテンシャルをうまく引き出す方法を見つけ、それをやってのけたこの監督の手腕に感謝するべきなのか。
この映画の脚本を書き、監督をしたのはムクンダ・マイケル・デュウィル(Mukunda Michael Dewil)という南アフリカを拠点とするクリエイターだ。
CMクリエイターでキャリアを積み、念願だった映画監督にキャリアを進めようとしているということぐらいしかよくわからなかった。
この南アフリカを拠点としていたということで、同じく南アフリカを拠点として活動していた映画監督ウェイン・クラマー(Wayne Kramer)を通じてポール・ウォーカーと知り合ったのではないかと思うのだが。
ウェイン・クラマー監督にポール・ウォーカーの魅力の引き出し方のコツのようなものを教えてもらったのかもしれないし、「Running Scared」をみて、ポール・ウォーカーに興味をもってウェイン・クラマー監督に連絡をとってみたのかもしれない。
ウェイン・クラマー監督同様、この映画のあとも幾つかポール・ウォーカーで考えている企画があるとムクンダ・マイケル・デュウィル監督がインタビューで話していたので、もしあの事故がなければポール・ウォーカーについてとてもよく理解した二人の監督による作品で俳優として一段と輝いた姿をみられたかもしれない。
思うにポール・ウォーカーという人は根っからのアスリート性分なのでこの先俳優業を続けたいかどうかは別として、「Running Scared」で掴みかけた何かを手がかりに”演技”をすることに関して手応えというか“こういうことか!”と腑に落ちたいというかスポーツみたいに何か全身で掴み取ったというような感覚を得ようと地道に探りつつ取り組んでいたんじゃなかろうかと。うまくいえないけれど作品の選び方もそういう意図もあったりしたのかなとか...。
ウェイン監督に「40歳をすぎる頃には演じることが楽しくなってるよ」と言われたとインタビューで話していたことがあったけれど、たぶん、そうなっていただろうなと思う。演じることの楽しさ奥深さみたいなものを掴みつつあったんじゃないかなって。
ああ、もう、まったく。。。
撮影は2011年。
ヨハネスブルクのライオン・パークで戯れてみたりもしていたらしい。
We're less than a week from the South African release! Check out Mukunda and @RealPaulWalker having fun on set. pic.twitter.com/sHZPIQ3pdK
— Vehicle 19 (@Vehicle19) August 2, 2013
Paul did all the crazy driving in the movie himself and it was filmed live! That was real fear you see in his eyes .. pic.twitter.com/GKp5RhShWD
— Vehicle 19 (@Vehicle19) July 18, 2013
私の好み度: ⭐️⭐️⭐️⭐️/5
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