はじめてのタランティーノ監督映画体験。
意識的に調べることなくともスポイラー地雷はそこそこ踏んでいるので、なんとなく色々知っておいたほうが楽しめるらしいことは認識していたが、そこを気にしているとなんだか永遠に見なさそうなきがしたので、とりあず飛び込んでみた。
タランティーノ監督映画初体験である。
ちなみにネトフリに「イングロリア・バスターズ(Inglourious Basterds)」をお勧めされた時、一度トライしてみたことがある。あるがよくわからないままに寝落ちしてしまった....。そのせいで「この監督の映画はよくわからないに違いない」恐怖症が若干先に立っていた。
で、結論から言えば最後までちゃんとみられた。
途中、「長いなぁ....」と感じたりはしたもののそれなりに楽しくみられた。
日付がやたら出てきたので、そういえば実際の事件が題材とかどうとかってなんかどっかで見たなぁ....と思いつつも、映画が終わるまでスマホで検索したい誘惑には耐えた。
で、ほぼ無知識でみたせいで、途中までクリフがその実際の事件を起こしてしまう犯人か被害者なんだろうかと無駄にドキドキしたけれど、最終的に全然そういうことではなくて、むしろ最後の最後までめっちゃいいヤツで嬉しかった。
終わってからwikiに飛んでみて、1969年8月9日に女優のシャロン・テートが自宅に押し入ったカルトの狂信者に惨殺されるというのが実際に起こったことと知る。
この映画ではシャロン・テートの隣に住む映画俳優リック・ダルトンの家に狂信者たちが押し入り、そして返り討ちにあう。
それまで隣同士でありながらも交流をまったくもっていなかったリック・ダルトンとシャロン・テート、その夫のポランスキーだが、事件の話をきっかけにシャロン・テートがリックをお茶でもと中に誘い、リックも招待を受けてポランスキー監督と語らいながら門の奥に消えていく。
このちょっとした近所付き合いは華やかだったりスキャンダラスなハリウッドとは関係ない、普通の人間としての営みがあるように見えて、ふと「ああこの世界ではシャロン・テートは殺されないですむのか」と気がついた。
押し入ってきた狂信者と最初に闘ってくれたのは長年リックのスタンントダブルをつとめるスタントマンでありリックの付き人のようなことをしているクリフとクリフの愛犬ブランデー。
リックとクリフは親友同士でいい時も悪い時もずっと一緒にハリウッドの荒波を渡り歩いてきた兄弟同然の強い信頼関係で結ばれている。
事件の前、リックはクリフに対して結婚もすることになって今後キャリアも伸びる見込みはなく家を売り貯蓄で食いつなぐことになるからもう給料を払って雇うことはできないと話しており、翌日には別々の道を行くことが決まっていた。
クリフはラリっていたとはいえリック夫妻を守るという意図で戦っていただろうし傷ついて救急車で運ばれていくクリフにリックは「お前はいい友達だ」と改めて気持ちを伝える。別の道を歩いていくことになるかもしれないけれど、まったく崩れていない2人の信頼関係と友情が再確認できてホッと嬉しくなる瞬間だった。
リックは浮き沈みの激しい世界でゆっくりと中心から外れつつあるけれど、それでも生き残ってこれたのはクリフという信頼できる存在が側にいたおかげなのかなと思う。
私の記憶に間違いなければクリフは確か帰還兵と言っていたと思うので、リックのスタントダブルとして側にいることでやっぱり救われたことがたくさんあったんだろうと思う。奥さんを殺したことがあるとか変な噂がつきまとっていようが、クリフと一緒であることをやめなかったのも、きっとそういう部分があるんじゃないかと思ったりした。
今でもアメリカでは映画やドラマ産業が帰還兵のいい再就職口になっているときく。せっかく戻ってきてもまた戻りたくなる気持ちが、映画やドラマをつくるというチームに加わることと、軍で得た自分の知識やスキルを活かせる場が多いのでいい具合に戦場に戻りたいという気持ちが緩和でき、日常生活に定着していく助けになるそうだ。
リックの仕事ぶりを見ていて俳優というのはつくづく孤独で不安定な仕事だなぁと感じた。間違いなく並の精神力ではとてもやっていけない。落ち目であっても誉め倒されたり、誰の言葉を信じていいのかもわからなくなりそうだ。それがただのお世辞というか大した意味を持たなかったとしても当人にはとんでもない重みをもって響いているのが、「あ、あれでそんなに嬉しかったんだ」と驚いたというか、なんだか切なくなったというか。それだけ孤独で不安なんだなと、スポーツ選手以上に浮き沈みが激しく、自分の立ち位置を見極めることもとても難しそうな業界だ。
そういえばシャロン・テートが自分が出ている映画が上映されている劇場にいって、とても嬉しそうに劇場の受付の人に話したり、映画を見ながらお客さんの反応をみて喜んだりする姿は夢がかなってとっても喜んでいるその様子が可愛らしいような、どこかもの悲しいような。なんというか、派手でも華やかでも特別でもなくてとても”普通”なのだなという。
彼女のことをたいして知りもしないのに一緒に写真をとってと言われて、これまたとても嬉しそうにポーズをとるシーンも、夢をかなえてよかったというよりは...他の人にとってそんなに大層なことでもないわけで、でも、華やかな世界のなかにいるように受け止められてしまうというか、そういうイメージのなかに押し込められてしまう哀れみ...とまで言ったらいいすぎかもしれないんだけど。
あと、リックと8歳の子役の女の子とのシーンが印象的でこの子役の女の子はすでにしっかり女優でとても大人びていて、”演技“道を真摯に追いかけている。微笑ましいような切ないような複雑な。でも下降線を辿るリックには眩しくてたまらない存在だろうし、俳優としてやっていくんだって上昇していくことしか考えていなかったかつての自分の姿かもしれなくて「15年たてば君もわかる」とか言ってしまってからすぐ否定するのが何かまた切ないような複雑なような。
落ち目というかかつて自分が思い描いていたような自分にはもうなれないかもしれない。でも俳優であることにはかわりない。
俳優として演じる場がある限り自分は俳優で、俳優はかつて自分が必死で焦がれた夢で...自分が満足できる演技ができて周囲にそれを認められる喜び。それを感じることができる限り、リックはやっぱり俳優をやり続けたいという自分を再認識し、抵抗を感じていたイタリアでマカロニウエスタンに出ることにする。もちろんクレイも一緒にいく。
俳優さん固定のスタントダブルさん。こういう絆って今のハリウッドでどうなんだろう。昔よりもありそうな気もするし、それとももっとドライなのかしら。
昔と違って映画俳優とテレビドラマに出る俳優の敷居の高さというかその間にあった壁はもうなくなってる気がするし...ショウビズとしての住み心地の良さはどんどん改善されてる気がするのだけどどうなのかな。
リック邸に押し入る直前カルト狂信者たちは“テレビで人殺しを見て育った”と話していたのも気にかかった。“テレビで俺らに殺すことを教えたヤツを殺す”っていいつつ怒涛の容赦なしバイオレンスシーンへ。
エンディングのタバコのCMといいハリウッドの産み出す映像が与える影響度みたいなものも軽く皮肉っているようないないような。
アルコールやドラッグに簡単に染まっていってしまう業界人。昔だからなのかそれとも今もさして変わらないんだろうか。少しはマシになっているんだろうか。昔のことのようでありながらハリウッドの日常は良くも悪くも今も昔も変わってない...ともとれなくもない。
いやどうなんだろう。
面白かったけれど、懐かしんでいるというよりは皮肉っているような、さりとて愛着も感じられるような、なんだかちょっと不思議な映画だったような気がする。
🍅: 85%