「ワイルド・スピード(The Fast and Tne Furious)」でストリート・レースを終えたドミニクとブライアンが語らっているところで警察の取り締まりがやってきて全員が一斉に逃げ出したシーンを覚えておられるでしょうか。
車を降りたドミニクが済ました顔して歩き出したところパトカーにみつかり追いかけられてきたところを車に乗ったブライアンが助けに来るシーン。おそらくこれはロブ・コーエン監督が取材でストリート・レースを見に行ったときに体験したことが元になっていると思われるんですね。
ロブ・コーエン監督がまだシナリオを練っているときのエピソードとしてインタビューで語っておりました。
でもって、ポール・ウォーカーさんもインタビューでその話をしているんですね。
リサーチでストリート・レースを見に行ったら警察の取り締まりがきて皆蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。その時、案内役のドライバーまで先に車で逃げてしまったので足で逃げないといかなかったという話をしております。で、それを読んだ時、監督そのままそれをエピソードとしてシナリオに取り込んだのかーと思ったのですが、どうやらその場面にヴィン・ディーゼル兄さんもいた様子。
1999年にリサーチとしてストリートレースを見に行き、警察の取り締まりがあって、ヘリコプターから逃げなくちゃいかなくなってニューヨークからきた自分としてはめちゃくちゃドキドキしたとか。「ポールは見慣れてるだろうけれど...」というようなことをこちらの動画の中で語っております。(ついでにヴィン兄さん、この中でシリーズは10作目までつくるかもという構想も話しております。)
つまり、あの場面で置いてきぼりにされたのはポールさんのみではなく、ポールさんとたぶん監督、そしてヴィン兄さん。つまりドライバーさんが戻ってきてくれるまで、3人で逃げ回ったってことですよね。これ逃げるの先導したの、もしやポール・ウォーカーさんではございませんか??
ロブ・コーエン監督もLAっ子なので可能性はありますが取材にいってストリートレースをはじめて見たと言っていたので、となると、ここで冷静に逃げる算段ができるのは高校時代にストリートレースをしょっちゅう見にいっていて警察がきたら逃げたという実体験を重ねまくっておられたポール・ウォーカーさんではございませんでしょうか....。もしやこの一件でヴィン兄さんはポール・ウォーカーさんとぐっと親しくなりましたか。
もしやドミニクがブライアンを信頼するようになる最初のきっかけとなるあのシーンをいれようとアイデア出したのも、ヴィン兄さんだったりします?
で、思うんですがポール・ウォーカーさんは当時ヴィン兄さんが加わってくれたおかげで相当ホッとできたんじゃないでしょうか。
初主演の責任にプレッシャーをめちゃくちゃ感じていたところに現れたヴィン兄さん。 ずっと長男として家の生計を支えてきて、学費ローンの返済に追われつつ、加えて当時父親になりたてでもあり自分がもっとがんばらなくちゃいけないと気負っていたところにヴィン兄ちゃんと出会ったわけで。
主演としての責任を分担して受け持ってくれるというか、現場を仕切りまくってくれちゃうヴィン兄さん。しかも物事をいろいろと先のことまで含めて考えまくり、自分の目的に向けて駆け引きをおりまぜて駒を動かそうとするヴィン兄さんのやり方はなにもかもがポール・ウォーカーさんにとって新鮮だったんじゃないでしょうかね。
自分がやりたい映画をやるにはただオファーを受けるのを待っているのではなく映画作りの最初の段階から参加していくという姿勢もヴィン兄さんから学んだところが大きいのではないかしらとか。
まぁ、全ては想像にすぎないんですが、でも実はずーっと、この二人の信頼関係が実際に確立したのがいつ頃だったのか、しっくりくるポイントがなかなか見つからない感じだったんです。
でも、そもそもこの頃からだったんだと思えば色々と腑に落ちます。
例えばポール・ウォーカーさんは自分に万が一のことがあったとき娘のミドゥさんがきちんと遺産を受け取れるよう2001年に遺言状を書いておりまして。もしかしたらヴィン兄さんにミドゥさんのゴッドファーザーになってもらったのはこのころかもしれないなぁとか。
他にもポール・ウォーカーさんが「ワイルド・スピード X2 (2 Fast 2 Furious)」のころからインタヴューでヴィン兄さんについて「腹がたった!」とか「ヴィンが友達なのかどうか考えなおそうかなって思ってる」とか結構キツいことを平気で口にしていたのは、言っても揺るがない信頼関係が二人の間にすでに出来上がっていたってことなのかなとか 。
妄想ついでに実はジャスティン・リン監督が「ワイルド・スピード」を引き受けたのはタイリース・ギブソンが背中を押したのが大きかったという話を最近知りましてですね。
どういうことかといいますと、『アナポリス 青春の誓い (ANNAPOLIS)』というジャスティン・リンがはじめてスタジオからオファーをうけて監督した作品にタイリース・ギブソンとジョダーナ・ブリューナーが出演していたんですね。
この映画は2004年に撮影されたんですが、タイリースの・ギブソンのインタビューによりますと、『アナポリス 青春の誓い (ANNAPOLIS)』の撮影現場でジャスティン・リン監督がワイルド・スピードのオファーを受けていて「自分のキャリアを考えたとき、あんなポップ・コーン・ムービーを撮ってる場合かって感じで。やるならやっぱり自分の撮りたい映画が取れるようになるための映画をやりたい」とぼやいているのをきき、自分の体験を話してから、それから紙に「The Fast and the Furious Directed by Justin Lin」と書いて渡したとか。
ジャスティン・リン監督はそれをみてちょっと悪くないなって顔をしたようなんですね(詳しくはわかりませんが『アナポリス 青春の誓い (ANNAPOLIS)』の監督を引き受けてかなり過酷な目にあっていたもよう)。その一ヶ月後にジャスティン・リンは「ワイルド・スピード」3作目の監督を引き受けたそうなんです (2005年1月にジャスティン・リン監督が3作目を引き受けたと公式に発表されています)。
ジャスティン・リン監督もインタビューでこの『アナポリス 青春の誓い (ANNAPOLIS)』という映画がなければ自分は「ワイルド・スピード」の監督は引き受けていなかったといっているのでタイリースとの会話がきっかけとなったと考えてもそんなに大きな間違いではないでしょう。
それで、ですね。
タイリース・ギブソンといえばポール・ウォーカーですよ。
この二人も友達というよりはもはや兄弟のような絆で結ばれております。
タイリース・ギブソンのポール・ウォーカーへの懐きぶりからすればジャスティン・リン監督と「ワイルド・スピード」について話したことをポール・ウォーカーさんに伝えていても不思議はないと思うのです。
例えば「ジャスティン・リンって監督と今映画とってるけど、こいつがめっちゃいい監督でそいつがなんとニール・モリッツから『ワイルド・スピード』の監督オファーされてるっていうんだ!絶対オファー受けろって言って、で、監督するならピアースとブライアン出せって言っといたから!もしオファーきたら受けろよ。おれも受けるからー」な感じのことを電話かメールでポールさんに伝えたんじゃないかなとか。
というのも2004年のポールさんは映画の撮影やらなんやらでLAにはほっとんどいなかったので、まぁタイリースも忙しい身の上ですがスケジュールがあったりするとリュダクリスとパーティに一緒にいったりと今も付き合いがあると嬉しそうに話していたところをみると、ポール・ウォーカーとも遊びたくてしょうがなかったと思うんですよ。なにかのインタビューで「ポール・ウォーカーは電話したっていつだってハリウッドにいない」とかってタイリースがポールについて話していたのを読んだ気がしますし、確実にポールさんと遊ぶには撮影で一緒になるのが一番!とタイリースは感じていたんじゃないかと思うんですねぇ。(ポール・ウォーカーさんは電話・メール魔らしいのでタイリースとこまめに連絡はとりあっていたと推察されるんです。まぁ、スケジュールがあった時には実際につるんで遊びにいけてたこともあったことでしょう)
で、ひょっとしたらポール・ウォーカーさんがヴィン・ディーゼルに「タイリースが仕事を映画の監督が今度『ワイルド・スピード』の3作目の監督するんだって」と連絡をまわしたか、もしくはジャスティン・リンが候補にあがっていると知ったヴィン・ディーゼルがタイリースがジャスティン・リンの映画に出ていることを知って、ポール・ウォーカーにそれとなーくジャスティン・リンがどんな監督かタイリースから聞いてないかと尋ねたかもしれない。それで、めっちゃいいやつとタイリースがすごく気に入ってたとポールさんからきけば、とりあえずジャスティン・リンに会って話をきいてみようという気持ちになったんじゃなかろうかとか。
もちろんニール・モリッツからも話を聞いていただろうし、ドミニク・トレット叙事詩構想を持っていたヴィン・ディーゼルのことだからずっと自分の構想を理解する監督かライターが現れるのを待ち望んでいたはずなので、こんな連絡網がなくともあっていたかもなんですが、先に連絡がまわっていた可能性も高いなぁと(想像たくましすぎてすみません)。
タイリースの参戦は5作目からですが、ジャスティン・リン監督はなんとか4作目にピアースをいれようとしていたそうなんですね。
でもどうしてもしっくりくる場所がシナリオに見つけられなかったらしく。ポール・ウォーカーがタイリースもシリーズに戻ってきてほしかったことは当然で、なんというかヴィン・ディーゼル、ジャスティン・リン、タイリース・ギブソン、ポール・ウォーカーの連携というか関係がちゃんとした信頼に根ざしてなければ全キャストがトラブルなく復帰できるってなかった気がするというか。
たぶんスタジオを納得させるためにいろいろと戦略的にやる必要もあったと思うんですよ。例えばヴィン・ディーゼルはよく2作目に対して辛口なことを言っていたけれど、タイリース・ギブソンがそこに反発をみせなかったのはそこにやっぱり信頼と理解があったからなんじゃないかと思うんですよね。
だって、あのタイリース・ギブソンですよ。ポール・ウォーカー以上に思ったことははっきりと口に出すタイリースです。しかも当時はまだまだ若いし、なにより彼は2作目のジョン・シングルトン監督のことを心の底から敬愛しているので悪くいわれるのは彼の性格からして耐えられないと思うんですが、ヴィン兄さんにやっぱりよく懐いてます。で、それってやっぱりポール・ウォーカー繋がりだろうなぁと思うんです。
まぁ、この辺りはあくまでも想像というか私の妄想にすぎません。
あともう一つだけ。
ポール・ウォーカーが「ワイルド・スピード」シリーズをやめようとしていたという件。車が運転できなくてうんざりしていたとかそんな理由ではなくて、「ワイルド・スピード」シリーズあくまでもヴィン兄ちゃんがお膳立てしてくれた舞台という思いが強かったんじゃないかなと。
インタビューで「ワイルド・スピードでは自分はとても甘やかされているから」という話しをしていたのを読んだ時、最初はスタントの話しかと思っていたんですが、今思えばあの場にいること自体のことをそう感じていたのかなぁって。
「自分よりも遥かに才能があって自分よりもずっと一生懸命努力しているのにチャンスに恵まれずにいる人たちがこの業界に大勢いるのに」というような言い方をしてこのキャリアを投げ出そうとしたにもかかわらず自分がここにいるのは申し訳ない感じがするということを言っていたり、スーパーマンの役を断ったことも「他にまじめに俳優として努力している人たちが大勢いてその彼らが必死で欲している役柄でありチャンスなのに自分がそこに並ぶのはふさわしくないと感じた」と話していたこともあって、「ワイルド・スピード」が有名俳優が喜んで出演したがるような巨大フランチャイズになっていったことで場違い感がどんどん大きくなっていたんじゃないかなぁと。
なんとなくそんなことも思ったり。
でも「ワイルド・スピード」でみんなと何かをつくるのはとても大好きだったというのも間違いないことなので、そこの気持ちに折り合いをつけるのにちょっぴり苦労していのかなぁとも。そのあたりが「ワイルド・スピード」シリーズに出るのやめたい発言につながっていたのかもしれないなぁと。
追記(2020年1月15日) : これを書いた時Reach Out Worldwideのことをすっかり失念しておりました。2010年1月12日に発生したハイチ地震をきっかけに設立した災害の起こった地に最初に応援にかけつけるプロスキルをもったボランティア団体。その前からLAのホームレスのドキュメンタリーを手掛けたり、サメの生息調査番組に本気参加したり、現実世界に即した活動に比重が移って行っているので、やはり俳優活動はやめたいというのが本音だったのかも。ただサメを一緒に調査した学者さんがインタビューで話していたことだけれども、俳優をやめて海洋生物学勉強しなおして学位とって本格的に自然環境保護の活動をしたいとポール・ウォーカーが相談してきた時に、今のハリウッド・スターの立場の方が公に対してずっと影響力があるし、ただの学者にできるよりもたくさんのことができるとアドバイスをしたと話していたから、ここが悩みどころだったのかも。「HITMAN:AGENT47」や「Skyscraper」に出る予定だったり、スコット・カーンと映画作ろうとしていたりしたので、この記事書いた時には俳優業に手応えでてきたかなと思ったのですが(特に格闘シーンに力をいれたいみたいなことも言っていたので)。でもまだ未見の「Hour」がちょうどそのバランスを見出しかけていた作品なのかもと思ったり。なんというか本当に並外れて行動的というかじっとしていない人だなぁと。
まぁ色々書きましたが、全ては推測というか想像の範疇です😅。
「ワイルド・スピード: Sky Mission(Furiosu 7)」を見て以降、自分がやたらとポール・ウォーカーについて調べたり書いたりしている理由というのは、一つには腑に落ちないことがいくつかあってそこをクリアにしたかったというのがあるんですが、でも多分一番大きな理由となっているのはヴィン・ディーゼルやタイリース・ギブソンをはじめとするワイスピ・ファミリーが総落ちしたと思しき喪失鬱をなんの心構えもなく受け止めてしまったため、どうやら彼らの喪失鬱を私も少々いただいてしまったそのせいかなと。
で、心の安寧を取り戻すリハビリ代わりにこの「ポール・ウォーカーの足跡」シリーズ(?)を書いているところがあります。
これで終われるのかどうかはまだわかりませんが、おかげさまでだいぶ気持ちが落ち着いてきた次第。
うっかりここまで読んでくださっている方がおられましたら、ここまでお付き合い下さいまして本当にありがとうございます。かなり痛い内容になっていることは重々承知しておりますが「ポール・ウォーカーは聖人です!」とかは間違っても言い出しはしませんから安心してください。昔からのファンの方には思い出させてしまって辛い思いをさせてしまっていたら申し訳ないと思いもするのですが、まぁ、アクセスほぼゼロのブログですのでおそらく大丈夫でしょう。
今後9作目、10作目とリリースされるにあたって色々と「ワイルド・スピード」に関していい話もでてくるでしょうがダークな話もやっぱりでてきてしまうだろうと思うのですね。でも、どんな作品の内容になるにしても、そうしたのにはやっぱり気持ちの整理をつけるのに必要なプロセスってことなんだろうなぁと思ったりもするわけで。
「ワイルド・スピード:ICE BREAK (The Fate of The Furious)」の撮影やプロモーションでもヴィン・ディーゼルはやはりポール・ウォーカーのことを思い出して大変だったようです。中でもバーベキューシーンは辛かった様子。涙が出てしまって気持ちを落ち着けるために一旦現場を離れなくてがならなかったとか。キューバでのレースシーンについても「ポールがレースシーンをもっと増やそう増やそう」としょっちゅう言っていたからどうしてもいれたくてと言ってましたし。喪失鬱を再発させていたんだろうなぁと。
タイリース・ギブソンが荒れ気味だったのも喪失鬱だったのだろうと思うし、ポール兄さんがこの世を去った年齢に自分が次第に近づいていっていることも仮に喪失鬱が治まりかけていたとしてもまたどーんと落ち込みそうな出来事だったんじゃないかと思いますし...(なんて話を書いていたら去年の12月にバスケのコートサイドでイドリス・エルバと仲良くしてる写真をみつけてほっこり。イドリス・エルバ、やっぱり優しい)。
それにドゥエイン・ジョンソンももしかしたら喪失鬱に陥っていたのかもしれないし。ヴィン・ディーゼルやタイリース・ギブソンよりも軽いものだったとしても、ショックな出来事だったのは確かだろうし。
ドゥエイン・ジョンソンによるとポール・ウォーカーさんとは共演する前から多少の顔見知りではあったらしく、共演するようになってからは娘を持つ親同士として親しくなったそうなのですが、その頃のドゥエインさんはシングル・ファーザーだったりするのでそれなりの同志感はあったんじゃなかろうかと。ポールさんからすればドゥエイン・ジョンソンに懐かない理由はないような。年も一つ違いなだけだし、ハワイや格闘など接点にはことかかなさそうだし。
去年、ケヴィン・ハートが交通事故にあってポール・ウォーカーのことも思い出したというのは、もう二度とあんな思いをしたくはないと強烈に思ったであろうことと、一緒にいた当時のことや現場でみんなで仲良く楽しくやっていた頃のことを懐かしく思い出したりしたんじゃないかなとか。
まぁ、こんな記事を書いていると、どうしてあんな事故が起こってしまったのかと悲しくなってきてしまうんですが。
さてさて「Furious 9」の 予告はスーパーボールの時にCMで流れるということなので、2月3日か4日にはみられますかね。その前に先行で1月31日のコンサートでも流れるということなので楽しみです(って、いつの間にかFuriosu 9の情報にも精通してきてるっていう...いやだわぁ😅)。
ファイナルとなる10作目は未来に次世代につなぐ話で、案外ドムやブライアン、ピアースの子供世代が大きくなってメインとなってるか、もしかしたらその子孫でずっと未来の話だったりしてとかも思ったりもするんですが、ジャスティン・リンとヴィン・ディーゼルのことなのできっと驚かせてくれるんだろうなぁとこちらも楽しみにしております。
・追記 (2020年1月15日)
1作目でジョニー・トランを演じたリック・ユーンと一緒にトーク番組に出ているんですが、この番組のホストの1人とリック・ユーンが結婚したてだったのか、そのあたりを聞かれてリック・ユーンがしどろもどろになっているのをポール・ウォーカーさんが助け船。メイン司会の人に「いい友達を持ったわね」と言われてるけど、本当にここも仲が良さそう (本当に全員と仲良くなってたんだなぁとあらためて驚く)。
リック・ユーンは事故後現場近くに設置されたメモリアルを直接訪れています。