なんだか悔しくて泣いてしまった。
”この時だけは純粋にスポーツでみんな楽しみましょう”という思いを貫くことがこんなにも大変なことなのか。まぁ私もインドア派なので”スポーツごときになんでそんな大騒ぎしなきゃなんないんだよ”とやさぐれがちな方ではありますが。
ドラマの描き方がそうなっているというだけで実際はどう判断するべきだったのかはわからないけれど、どの選択が正解かなんてこともどの立ち位置をとるかっていう選択の差だという気がしないでもない。
ジゴロー先生からはじまってその熱い思いを受け継いでがんばってきたまーちゃん。でもつまりこれは戦争など他の事情でオリンピックに出られなかったアスリートたちに無念に通じるものもあるんだろうなとか。
志ん生師匠の復活高座とまーちゃんの挫折感。落語と重ね合わせたこの表現。「いだてん」の十八番だけど、ハマるときは本当にハマる。弱ってくる師匠と明治時代はじめてオリンピックというもの知った嘉納ジゴロー先生からはじまったスポーツへの情熱がどんどんとねじ曲がっていく無念さ寂しさのようなものがピタリとかさなって。
でもいわちんたちがちゃんとまーちゃんの思いをわかってるから。 「出なくていい大会なんてありません!」っていってくれたいわちんの言葉が妙に嬉しかった。