”光陰矢の如し”ってこういうこと?
考古学者のホッパー教授が十数年前に行方不明になった両親の車を見つけ、車の側にあった洞窟に入っていったと確信を持ち、一人で洞窟の中に入っていく。一向に戻ってこない教授を心配した教え子のテイラーとジャッキーは夏休みで暇を持て余しいる妹や友人をつれて教授を捜しに行く。
よっぽどお金がない中で作った映画なのかと思った。大学の映画研究サークルが作った自主制作映画を文化祭の上映会でみたようなノリ。洞窟にはいったきり、ずっと洞窟の中でものごとが進んでいくので、中盤もすぎた頃には”本気でこのまま洞窟の中だけでものごとをすませるつもりか?”と睡魔にやや屈服しかかりながら疑ってみたり。
もしも登場人物が魅力的であれば、ずーっと洞窟の中であっても映画は成立するだろうが、魅力も何も全てが薄すぎて。しかも無駄にしょうもないことで歪みあうので、いちいち面倒臭い。 相当うんざりしていたところに、唐突に原人らしきものが襲ってきたり、宇宙人らしきものがおそってきたり。
こんな映画をみるぐらいなら他の映画をみたほうが絶対にいいと思うのでもうネタばらしてしまいますが、この洞窟の中は異様に時間が流れるのが遅いわけですよ。
洞窟の外ではもうビュンビュン時間は過ぎ去っていて、人類はとっくに宇宙ステーションで住んでたり。 この穴に落ちたものだけが超絶スローに生きてるので、この洞窟に落っこちてしまったいろんな時代の人が琥珀の中の虫みたいにとどまっている。
でもまぁ、これだけなら、百歩(ではとてもすまされませんが)譲ってアイデアとしてはありかなと思えないことはないかもしれないんですが(...どうだろう?)。
ええっと、この洞窟にはそこにつけるとどんな怪我も治ってしまう奇跡の泉が湧いておりましてね。ですから、崖から落ちたり原人に襲われたりで軽く捻挫したり、骨折したり瀕死の重傷を負ったとしても、その泉にポイッと放り込むとすぐ元気になれるっていうお手軽さ。
簡単だなぁ、おい。
SFにある程度の荒唐無稽はつきもの。荒唐無稽をどこまで荒唐無稽と気がつかせないか。荒唐無稽だけどこれはアリだよねと思わせることができるかが作り手の手腕のみせどころということで。
自分の荒唐無稽に対するキャパシティーについてなんだか考えさせられた映画でございました。
このネタ、舞台でやれば案外面白いのかも。
私の好み度: ⭐️/5
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